コロンブスの卵と境界画定訴訟(連続4回・第3回) 弁護士白井劍

コロンブスの卵と境界画定訴訟 (連続4回・第3回) 弁護士 白井劍

〈境界画定訴訟のはじまり〉

Aさんのお孫さんが知り合いに相談し、その人を介して、わたし(白井劍)に相談がきた。わたしは数日後、特急列車に乗って現地を訪れた。Aさんとお孫さんのふたりがわたしをニンジン畑に案内してくれた。現況の耕作界は明らかだった。とはいえ、万が一にも耕作界が物理的に破壊されれば勝負はついてしまう。わたしはAさんたちにお願いして、耕作界にそって木杭を打ち、ロープを張り巡らせ、立て看板を立ててもらった。立て看板には「A所有の畑につき立入禁止」と大きく書いてもらった。のちに裁判で、この立て看板は、Aさんが土地を掠め取った証拠だとBさん側から主張された。

その後わたしは、農業委員会とBさん宛てに、境界変更に同意していないと内容証明郵便をうった。さらに農業委員会に異議申し立てをおこなった。ふた月ほど経ってAさんに訴状が届いた。こうしてAさんとBさんとのあいだの境界画定訴訟が始まった。

うちの法律事務所では訴訟は弁護士2名が担当するのを原則としている。石川順子弁護士と白井の二人がこの訴訟を担当することになった。

 

〈できることは何でもやった〉

およそできることは何でもやった。書いた準備書面は20本近かった。裁判期日を何度も重ねて結審まで4年以上かかった。

古い時代からの航空写真を年代順に全部提出した。空から見ても30年以上前から耕作界は明らかだったし、変わらなかった。

Aさんのニンジン畑の隅のほうには古い杉の木が20本ほど立っていた。耕作界のすぐ近くから始まって、Aさんのニンジン畑の片隅に道路脇に並んでいた。いずれも古い杉の木だった。耕作界にもっとも近い杉の木を根元から切ってもらって年輪を数えた。樹齢30年を超えていた。これも写真にして証拠提出した。他人の畑に植樹することはできない。最初に杉を植えたときからずっと耕作界に変化がないことの証拠だった。

Aさんが中等度の難聴であることも、医師の診断書、意見書、聴力検査結果を出して丁寧に立証した。

農業委員の尋問を申請した。そのうち、F主査と和解仲介委員会委員長の2名が採用され証人尋問が実施された。もっとも、思うような成果は得られなかった。証人は2名とも、「時間をかけて丁寧に説明した。Aさんは、事情をよく理解したうえで、いいでしょうと言った。誤解するはずはない」と断言した。その供述は最後まで崩せなかった。Bさんの本人尋問も実施された。Bさんは、Aさんとは何年も前から畑の境界のことでもめていたと、事実と違う供述をした。

もちろん、Aさんとお孫さんの陳述書を作成し、Aさんの本人尋問とお孫さんの証人尋問を実施した。この尋問はいずれも成功した。

 

〈裁判の形勢は不利だった〉

裁判官は訴訟の冒頭から原告Bさんの主張を支持し、被告Aさんの弁解は理不尽と考えているらしかった。心証が言葉のはしばしに表れていた。わたしたち被告訴訟代理人にも明らかに侮蔑の視線を向けてきた。尋問のときの補充尋問でも当方に不利な心証であることを隠そうとしなかった。回を重ねた弁論期日では、法廷でわたしたちが裁判官と激論する場面が3度も,4度もあった。そのたびに裁判官はわたしたちに侮蔑の視線を向けた。裁判官は、当方が何を主張しても、どのような証拠を出しても、「だからどうだと言うのか」という態度だった。そうして、旗色が悪いまま裁判の終盤を迎えた。

 

〈通常の境界画定訴訟よりも高いハードル〉

落ち着いて考えてみれば、この訴訟は、通常の境界画定訴訟よりもはるかにハードルが高い。通常の境界画定訴訟であればAさんが苦戦することはなかったと思う。でも、この事件は「和解の成立」という難題を抱えていた。この和解を崩さないかぎり勝ち目はない。そのためには、耕作界が本来の境界に絶対的に間違いない、1ミリの疑問の余地もないと裁判官に確信させ、AさんがX-Y線で妥協したりするはずがないことを裁判官に納得させる必要がある。その高いハードルは超えられなかった。

 

〈「この登記簿はおかしいよ」~あらたな視点〉

こうして不利な状況を挽回できないまま、次回は結審という時期になった。事務所の会議室で、石川とふたりで作戦会議をもった。可能なかぎりの主張と立証はすでに尽くしたと思われた。検討すればするほど、もう打つ手はないことを確認するだけだった。

ああ、この裁判はダメなのかもしれないなと、思わず諦めが口をついたところで、秘書がコーヒーを淹れてもってきた。休憩のコーヒーを飲みながら、ふたりとも証拠書類をぼんやりと眺めていた。「あれっ! この古い登記簿はおかしいよ」と石川が唐突に声を上げた。手元の書類を指さした。地主の山林から開墾で分割されてBさんの祖父が買い取ったときの書類を指していた。登記簿の書き間違いが起きていると言った。明治期に開墾成功により、1236番という地番の9反5畝30歩の山林が6反7畝23歩の土地「1236番1」と2反8畝7歩の土地「1236番2」に分かれている。開墾に成功して畑になったのは1236番2であり、この畑をBさんの祖父が地主から買い取っている。開墾できなかった土地6反7畝23歩はもとどおり山林のはずである。ところが、当時の登記の記載は、開墾できずに残ったはずの1236番1の地目が畑、開墾して畑になったはずの1236番2の地目が山林と書かれている。過誤により、あべこべの記載になっていると石川は言った。

もう一度、登記簿と公図を古い時代から順に対比してふたりで丹念に検討した。明治期に開墾に成功した当時の登記の記載に地目の間違いがあるだけではなく、その当時の公図にも記載ミスが起きていたことがわかった。公図は、Bさんの畑の位置を間違えて記載してしまっている。BさんやF主査が主張した、「現況は登記や公図とあまりにも乖離している」は、このときの記載ミスが原因で生じたものだった。Aさんが現地で言い放ったとおり、登記簿や公図のほうが間違っていたのだ。現況の耕作界が境界であることに疑問の余地がなくなった。

 

〈思い込みはうち砕かれた〉

これまでとはまったく異なる方向から強い光が差し込んできたように思えた。まったく異なる景色が目の前に広がったような気持ちがした。登記や公図に記載ミスがあることに、わたしは思い至らなかった。公図と登記は一致しているのが当然と思い込んでいた。その思い込みはわたし一人のものではなかった。Bさんも、F主査や農業委員会関係者たちも、Bさんの代理人も、裁判官も、さらにいえば、これまで2つの畑の登記に関わった登記官たちも、およそだれも登記や公図にミスがあるとか、その間に不一致があるとは思いもしないできた。その強固な思い込みを石川弁護士が一挙に打ち砕いていった。

これなら勝てる。勝てるはずだ。そう思った。登記と公図の記載の変遷をまとめ、明治期の記載ミスが浮き彫りになるような詳細な書面を作成して裁判所に提出した。自信満々で結審日を迎えた。

 

〈裁判官は冷淡だった〉

しかし、案に相違して裁判官は冷淡だった。なぜ、分厚い書面でくどくどとこんなことを主張するのか、本件と関連性がないではないかという趣旨の発言を裁判官がした。さらに口頭で説明したが、裁判官は怪訝な顔を向けるだけだった。簡単に結審した。判決日も指定された。これは、いよいよだめだと思った。

 

〈判決の延期とその後の弁論更新〉

ところが、判決予定日の直前に裁判所書記官から電話があった。判決が間に合わないので判決日を延期するとのことだった。あらたな判決期日が決められた。

そのあらたな判決期日の少し前にまた裁判所から電話があった。「弁論を再開します」と言ってきた。いったん結審した裁判手続を、結審前の状態に戻すというのである。

 

〈あなたには気の毒な結果になりました〉

指定された日に裁判所にでかけた。なぜ弁論を再開したのかを裁判官から説明されたものの、再開する必要があったとはわたしには思えなかった。不審に思っていると、裁判官は真正面を向いて「記録を丹念に検討したところ、心証が大きく変わりました」と述べた。そして、原告Bさんの代理人弁護士のほうに向き直って、「あなたには気の毒な結果になりました」と述べた。

〈 to be continued:つづきは「コロンブスの卵と境界画定訴訟(第4回)」(1週間後に掲載)をごらんください〉