『石川順子 きまま・きまぐれ・弁護士ブログ』 第2号です。
みなさま、いかがおすごしですか。
事務所近くの歩道の植え込みのサザンカが11月からずっと咲いています。もうそろそろ終わりに近づいていますが、寒い中の赤い花は縮こまったこころを暖めてくれる気がします。
事務所の近くでは、毎年年末になると出店で正月飾りが売られます。この時期の風物詩ですね。粋なはんてんに江戸情緒を感じます。
新聞では、今年1年のできごとを振り返って、いろいろな事件のリストを挙げています。私が購読している新聞でアップされた裁判は、伊方原発運転差し止め仮処分の高裁決定とオウム真理教の女性信者の無罪判決でした。
原子力発電所に関する裁判では、東日本大震災の経験を経て、裁判所が自然
災害のリスク評価について慎重な判断がいくつかだされ、裁判所におきた変化が感じられます。
今回の広島高等裁判所の決定は、巨大噴火が1万年に1度であってもリスク評価を厳格に判断すべきという価値判断が基礎となっているように思います。事故や被害が発生する確率がどのように計算されるのか知りませんが、確率が小さいとされていても起きる時は起きる、1万年に1度しか起こらない巨大噴火といっても、それは来年に起きるかもしれない、起きないと誰が断言できるのか、という素朴な疑問が共有されたのかな、などと考えています。
それにしても、小さい頃から、どうして生態系に甚大な被害を及ぼすようなものを使って、最終的に無害化できないのにそれをため続けて、原子力発電を続けて行くのか、ずっと疑問があたまにあります。自然エネルギー庁のホームページを改めて見てみましたところ、
「人間による管理に委ねずに済むように処分すべきであるとした上で、その方法としては、地下深くの安定した岩盤に閉じ込め、人間の生活環境から隔離する方法が最適であると、国際的に考えられています。これを「地層処分」と呼び、日本では地下300m以深の地層に処分することになっています。」
とありました。いつまで、どのくらいの量を地下300m以深の地層にため込むのでしょうか。管理にゆだねずに済むということは、その場所に埋めたことが管理されず引き継がれないということなのでしょうか。
泡の消えたビールのような時期遅れの話題でしたが、これは人類永遠の課題ですね。
そろそろ今年も残り半日、皆様、よいお年をお迎えください。