COVID-19闘病記 ~医療過誤事件に思うこと~
先月の下旬ころCOVID-19に罹患してしまった。罹患した週の木曜日に法律の研修会をおこなったのだが、その後の懇親会に出席したことが発症の原因かと考えている。3日後の日曜日の朝に熱が酷く、喉も痛く、咳も止まらなかった。たまたま別の既往症の薬として持っていたカロナールを服用し、熱をおさえ、喉の痛みを緩和させた。その後、PCR検査を受けに、浜松町のクリニックにいったところ、その日の夜に陽性との検査結果を知らされた。
それまで、わたしは幸いなことにCOVID-19に感染したことがない。COVID-19は、ちまたで聞くうわさはピンからキリまであり、単なる風邪という人もいれば、恐ろしい感染症で後遺症も残る重病という人もいる。
わたし自身としては、少なくとも単なる風邪とは程遠く、つらく困難な病気であるが、重病といえるほど大きな後遺症が残ることはなかった。もっとも、COVID-19にかかったのを機に倦怠感を感じることが増えたので、軽く後遺症は残ったのかもしれない。かかった当初は高熱な上に咳も止まらず、一人暮らしで心細く薬を飲んで、寝ていた。しかし、喉が痛く、寝ていても痛みで起きてしまったり、熱で頭がぼーっとする中、すぐ近くのコンビニにスポーツドリンクや果物の入ったゼリー、野菜ジュース、ヨーグルトなどの食べやすいものを買いに行ったりすることはとてもつらかった。
最初の2,3日は上記のようにとてもつらかった。しかし、幸いなことに、徐々に回復し、無事翌週には少しずつ仕事に復帰できた。もっとも、先に述べた通り、以前と同じ仕事くらいの仕事量でも、より疲れたなと感じることが多くなった。
もともと、高血圧などで医者には通っていたので、COVID-19にかぎっているわけではないが、いまだに、医師には診てもらっている。医師の診療や出してくれた薬は効果があり、不安な点も打ち明けられ、やはり医師という存在の大きさに改めて触れた。
今回のCOVID-19にかかったり、わたし個人の基礎疾患を治療してもらったり、医師という存在に私は少なくとも敬意を払っている。医師にかぎらず、医療行為に携わる人すべてに言えるだろう。なので、今回ここで簡単とは言え闘病記を書いたのは、医療過誤に携わる弁護士のおそらく多くの方は、医師に対して悪意や敵意があるわけではないということだ。極端な言い方になるが、たまに医療過誤の患者側、労働事件の労働者側は、医師や使用者を敵視しているといわれることがある。それは、私は間違いであると考える。
弁護士も専門職と言われる人間だが、間違いもする、自浄作用としての弁護士会もすべてに行き届いているとはいえず、弁護過誤が明るみに出ないこともあるだろう。だが、弁護士会や各々の弁護士のためにも、ヒヤリハット事例、実際に懲戒にあった事例は自戒のために読むようにして、万が一何か不適切な弁護活動をしてしまったのであれば、すぐに依頼者に報告して、リカバリーを考える。依頼者の人生を託されているのだから、自身の弁護活動に強く責任を持つべきだと思う。
医師も同じであるべきで、人間だからミスは当然する。本当にうっかりしてしまうことはあるだろうし、そのことが人の命に係わるのだから、重大だ。それを避けるために、防止策をとらなければならない。また、命に係わるミスについては然るべき責任をとる。ミスを隠蔽したり、ミスをミスでなかったことにしたりすることは決してあってはならない。
医師は特に大学病院などでは、会社のような組織として存在し、縦社会の部分がある。先ほど少し挙げた労働問題もそうだが、組織においては、問題をなかったことにする傾向がある。この点は、立場や知識量の問題もあり、患者から医師に対して、深く責任を追及し難いという事情もある。
しかし、ミスをミスとして認識し、自戒の念を込めてそのことを糧にその後は二度とミスをせずに、精一杯患者さんを救うのが医師たるべき姿だと思う。私が、医療過誤について思うのは、医療過誤を隠そうとするその体制に弁護士がメスを入れていかなければならないのだと考える。
医療過誤事件を扱うときはいつも、同じ専門職として、自身は弁護士としてベストな選択をとれているのか?それを忘れずに取り組んでいる。