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いつ法曹になったかによる不公平  弁護士 小峰将太郎

いつ法曹になったかによる不公平   弁護士 小峰将太郎

2024年5月16日木曜日の17時、私はもう10回をゆうにこえる意見交換会に出席していた。いわゆる院内集会というものであり、国会議員が出席し国会議事堂で行われる。最初に出席したときはその位置づけもよくわからなかった。さいたま地裁での修習の中で時間を作って、1時間以上電車に乗り埼玉から永田町へ訪れ、町田で弁護士になってからも永田町まで通い続けた。テーマは給費制廃止という修習期の違いによって、生み出されてしまった格差の是正を改善するというものだ。導入がかたくるしくなってしまったが、以下で、簡単にこの問題について述べていく。

年度が変わり、5月を終えて、6月に入ると住民税の増加にまず気が重くなる。これは前年度の売り上げがよくなった弁護士にとってはみな同じ思いを抱くだろう。
しかし、わたしは別の憂鬱な事柄がある。それは7月に入るとやってくる。最高裁判所からの司法修習貸与金の返還のお手紙である。

司法修習生というとピンとこない人もいるかもしれない。簡単にいうと、司法試験に受かって、弁護士や検察官、裁判官になる人がその進路を決めるための研修期間であり、今は1年間の修習期間がある。研修の卒業時には試験があり、これに落ちると司法試験に受かっていても、弁護士や検察官、裁判官にはなれない。司法試験の次の関門で2回試験とも呼ばれる。研修が1年あり、その最後には試験があり、その試験に落ちてしまえば、弁護士になれない、というのであるから、当然、みな真剣に取り組む。司法修習生を指導する裁判官、検察官、弁護士も当然、厳しい教えがあり、民事裁判修習、刑事裁判修習、刑事裁判修習、検察修習、弁護修習、集合修習と平日は休みなく1年間、勉強にいそしむ。当然のことながら、アルバイトは禁止されている。厳密にいえば緩和された時期もあったが、法曹へとなる研修過程でアルバイトをする余裕もなく、指導する側もおおよそ想定していないだろう。実際に、土曜日と日曜日も与えられた研修課題に必死で取り組んでいた。

そんな日々をわたしは2013年11月27日から2014年12月16日まで送ったわけである。そのような中で当然、住まいの問題、勉強するための書籍の問題、生活費の問題、いろいろと支出が発生する。わたしは2013年の5月に司法試験に合格したので、法曹のなかの年代である修習期と呼ばれるものは67期である。実は、この修習期が一つの問題を起こしているのである。

前置きが長くなったが、上記の司法修習の65期から70期の法曹は司法修習中に一切国からお金をもらっていない。64期までは、国から給料が出ていて、20万円と少しほど、お金をもらっていた。しかし、国は新司法試験を作るにあたって、この給費を撤廃し、貸与するという愚行にでた。弁護士や検察官、裁判官はその職につき、重要な研鑽の1年についてお金を与えられることなく、過ごさなければならなかった。
これは極めて過酷なことである。世論として弁護士になったら儲かるからよいのではないかという声もあるということを聞くが、決して甘いものではない。我々の仕事も人口が増え、年々弁護士の収入は減っていっている。さらに、我々の世代の頃は、弁護士も就職難であったため、職につくことができるのか?無職で修習期間を卒業して、借金だけが残るかわからないという時期を過ごす。

なぜ司法修習の時期がことなるだけでこれだけの差異が生じるのだろうか?私はこのことに疑問をもち、弁護士になった当初は給費の制度を廃止したことについて国に対して損害賠償請求を求める裁判をする弁護団にも所属していた。この裁判での弁護団の主張内容としては、なぜ、給費制を廃止にしたか、という根本についてのものである。これに関してはさまざま意見あったが、2006年の司法制度改革に伴い、弁護士、検察官、裁判官などの法曹の数を増やし、また、法律未修者でも法曹になれるようにして多様な人材の確保のために法科大学院も設置する。そこにおいて、国の言い分としては、司法制度改革の関係で、司法試験の合格者が増やす予定であるが修習生に手当を出すとなると、額も大きくなる。また、研修中の修習生について、お金が出るというのはそもそも国民の理解が得られていない、というものだった。しかし、これは詭弁で実際、給費制の一部復活がされてから国民が怒りの声を上げたかというとまったくそうではない。国の本音としては、法科大学院というお金がかかる場所を通過しないと法曹になれず、修習中の給費もなくすことで、金銭的に裕福な人間しか法曹になれない仕組みを作りたかったというところに本音がある。お金持ちほど在野精神を持ち合わせておらず、国に対して歯向かう法曹は減るだろう、ということである。弁護団は訴訟の場でそのことを強く訴えた。

上述した裁判もしたし、国会にもはたらきかけた。冒頭の院内集会がまさにそれである。その結果なのか、先述したように71期から一定額の支給がなされるようになった。運動や訴訟のひとつの成果であると考えるとうれしく思う。しかし、裁判のなかで谷間世代の給付がなかったことについて、理論的な説明はまったくされておらず、立法裁量の範囲といわれてしまった。そもそも、立法事実、すなわちなぜ廃止するのかという理由も不明である。しかし、裁判所においてもそれが明確に示されることはなかった。

弁護士の研修期間中の給料の問題など世間の皆様からしたら、あまり興味がないことかもしれない。しかし、弁護士は公益のために働き社会正義を実現する責務を負っている。そして、そういった仕事はほとんど自分の儲けにならないことが多い。

司法の担い手として、公益を実現させる一員としての弁護士について、その研修期間中に給与がでなかったことについて、市民のみなさまにも知ってほしいと考え、このブログを書いた。弁護士になる人間が社会の利益を実現させるためには、研修時代の給与や手当は必要であるし、それが放置されている谷間世代について、近い将来解決がなされることを期待している。