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不動産売買にともなう慰謝料を認める最高裁判例をとった話(後編)弁護士白井劍

不動産売買にともなう慰謝料は認められるか ~財産的利益に関する意思決定権侵害による慰謝料を初めて肯定した最高裁判例をとった話(後編) 弁護士白井劍

 

〈自治意識の高い人びと〉

 同じく集合住宅といっても、マンションでの生活と昔ながらの公団住宅での生活はまったく異なる。マンションは他の住人と接触する機会がほとんどない。たしかに、エレベーターで顔を合わせれば挨拶をするかもしれない。管理組合の役員同士は知り合いになる。でも、せいぜいその程度のことである。隣の部屋にどういう人が住んでいるのか長年知らなかった、なんてことも珍しいことではない。これに対して古くからの公団住宅はそれ自体がひとつのコミュニティである。自治会が実質的に機能し、住民同士の交流も頻繁である。夏の盆踊りや花火大会、暮れの餅つき大会など、自治会主催の催し物も多く、参加者も多い。住民たちの自治意識はとても高い。団地の住民みんなのためにということをまず考える。そういう人びとの集まりであった。だから、公団の値下げ販売に対する対応も迅速だった。原告団を組織し訴訟を提起する方針を打ち出した。そうして、前編でお話ししたとおりの4人の弁護士(河野憲壯、松居英二、縣俊介、そしてわたし白井劍)が依頼をうけた。

 

〈東京地裁の経過〉

 1999年に東京地裁に提訴した。主位的には値下げ額を損害とした。適正金額よりも高額に売りつけられたと主張したのだ。弁護団は、債務不履行、不法行為、錯誤など、考えられるあらゆる主張を尽くした。とはいえ、値下げ額が損害として認定されることは考えにくかった。契約自由の原則を強調し、売買を合意した以上、価格設定は違法になりえないというのが裁判例である。そこで、予備的に、説明義務違反による慰謝料請求(1戸あたり200万円)をおこなった。当然のことながら、訴訟における中心争点は、一般公募に先立ち、優先して建替え後分譲住宅に入居できるという「優先入居」条項の解釈であった。原告らは、一般公募と販売価格が同等であることを前提に抽選によることなく入居できることを意味すると主張した。これに対し公団は、優先とはただ単に順番が先というにすぎないと強弁した。原告たちは憤慨した。わたしも、これでは詐欺と変わらないじゃないかと思った。かれらは賃借権の喪失を承諾させられるにあたって、100万円ほどの転居費用をもらっている。転居費用も出すし優先入居だから賃借権喪失に応じてくれというわけである。住居の価格が何百万円も高ければ転居費用など無意味である。疑似餌で魚を釣り上げる詐欺商法だった。

 第1審の東京地裁判決(芝田俊文裁判長)は2003年2月3日だった。裁判所は、弁護団が議論を重ね苦心して組み立てた主位的請求の主張をすべて排斥した。そのうえで、予備的主張の説明義務違反を認め1戸あたり150万円の慰謝料を認容した。原告団は、値下げ額の賠償が認められなかったことよりも、「あの巨大な公団に勝った」ことを重視し、「全面勝訴」と高く評価する声明をだしてくださった。

 

〈東京高裁でも勝訴〉 

 公団はただちに控訴した。控訴審の東京高裁判決(大内俊身裁判長)は2003年12月18日に言い渡された。高裁判決は、「公団は、本件各売買契約締結の時点においても、第1審原告らに対する譲渡価格が高額に過ぎ、その価格で一般公募を行っても購入希望者が現れないことを予想・認識し、そのため、第1審原告らの入居に引き続いて一般公募を行う意思を有していなかったのであり、第1審原告らに対して、当面一般公募をしないことを説明しなかったのであるから、説明義務違反がある」と述べた。第1審判決を維持する勝訴判決だった。

 控訴審で勝った2、3日後、原告団と弁護団は公団本社に出向いた。「上告するな」と申入れをして、本社前でビラ撒きをした。原告団の誰もが異口同音に、「こんなことをするのは生まれて初めてだ」と言った。最初はおそるおそるという感じだったが、すぐに慣れてきて、誰もが楽しそうだった。原告のひとりが、「地裁で勝ち、高裁も勝った。これで二連勝だ」と言った。別の原告が、「最高裁で負けるかもしれないぞ」と言った。もとの原告が、「大丈夫。もう勝ち越しは決まったんだから」と言う。ほかの原告が「大相撲じゃないんだから」と言って大笑いになった。原告団のいるところにはいつも笑いがあった。明るく前向きな人たちだった。

 

〈慰謝料請求を認めた初めての最高裁判例をとる〉

 原告団の要請を無視して公団は上告した。公団がもっとも力を入れたのは、不動産売買にともなう慰謝料は、財産的利益に関する意思決定権侵害の慰謝料であり、従前の最高裁判例によって否定されているという主張であった。

 最高裁第一小法廷の判決は2004年11月18日法廷で言い渡された。判決は、「住宅公団は、被上告人らに対し、一般公募を直ちにする意思がないことを全く説明せず、これにより被上告人らが住宅公団の設定に係る分譲住宅の価格の適否について十分に検討したうえで本件各譲渡契約を締結するか否かを決定する機会を奪ったものというべきであって、住宅公団が当該説明をしなかったことは信義誠実の原則に著しく違反するものであるといわざるを得ない。そうすると、被上告人らが住宅公団との間で本件各譲渡契約を締結するか否かの意思決定は財産的利益に関するものではあるが、住宅公団の上記行為は慰謝料請求権の発生を肯認し得る違法行為と評価することが相当である」と述べた。不動産売買にともなって慰謝料請求権が発生することを認めたのである。この最高裁判決を原告団の皆さんが喜んでくださったことは言うまでもない。

 これが、財産的利益に関する意思決定権の侵害による慰謝料を真正面から認めた初めての最高裁判例となった。

 前編の冒頭で述べたとおり、財産権侵害の慰謝料を相談されることがある。そのときわたしは本稿で述べた訴訟を思い出す。そして判例のハードルの高さを思う。これならハードルを超えるのではないかと思えるような相談に遭遇したことは、この公団建替え事件を除き、これまでのところはまだない。【完】