本年7月3日,最高裁で旧優生保護法国家賠償請求事件の判決が言い渡された。
1948(昭和23)年に成立した旧優生保護法の目的は,特定の疾病や障害等をもつ人々を「劣った人」と決めつけて,その子孫に同じような「劣った人」が生まれることを防止するという点にあった(優生思想)。
そのため,特定の疾病や障害等をもつ本人だけではなく,その配偶者や,4親等内の血族までをも対象として,強制的な不妊手術を行った。
法文上は本人の同意が要件とされた。しかし,実際は自治体や地区ごとに手術を受ける人数の目標が割り振られ,その目標に対する達成率が競われるなど,本人の意思とは無関係に,行政によって強制的に推し進められた。
なかには,生まれた後の病気で聴力を失った人など,当時の医学水準から見ても明らかに遺伝とは関係ない人までもがその対象とされた。
この法律が,個人の尊厳と人格の尊重を宣言する日本国憲法13条に反することは明らかだった(最高裁も「当時の社会状況をいかに勘案したとしても正当とはいえない」とする)。このような非人道的かつ差別的な法律が,1996(平成8)年に廃止(「母体保護法」に改正)されるまで約48年もの間維持された。そして,法律が廃止された後も,国は謝罪も補償もせずに被害者を放置し続けた。
違法な侵害であることは明らかなこの裁判で,原告・弁護団が勝利するために乗り越えなければならない最大の争点は「除斥の壁」だった。
除斥(改正前民法724条後段)とは,侵害行為から20年が経過した後は,裁判で加害者を訴えても,損害賠償責任が認められることはないという制度で,1989(平成元)年の最高裁判決で確立された。
その根拠は,①長期間の経過により証拠が散逸して加害者側の防御が困難になること,②長期にわたって裁判を起こさなかった被害者は権利を失ってもやむを得ないこと,という2点にあるとされた。
この除斥制度は,多くの例外や反論の余地がある消滅時効とは異なり,例外のない絶対的な権利失効をもたらすものとされた。このような最高裁の解釈は,法学者や実務家の間でも批判が極めて強かったこともあり,2017(平成29)年の改正後の民法では否定されたが,それ以前の事件に遡って適用はされないため依然として争点となっていた。
今回の最高裁判決は,従来の解釈を変更(判例変更)した。すなわち,権利侵害から20年以上が経過しても,被害者が裁判を訴えることができなかったことが真にやむを得ないといえるような場合,加害者側が「除斥により権利が失効した」と主張することは権利濫用にあたり許されない,とした。
その上で,原告らが,国会で決まった法律が「違憲である」として国家賠償請求を起こすことは極めて困難だったと認定して,被告国の除斥の主張を権利濫用であるとした。
この除斥制度の壁は,多くの公害事件や薬害事件において,たびたび被害者原告らの前に立ちはだかってきた。これらの事件の多くは,国や大企業vs地域住民や公害患者という構図で,証拠収集の能力や経済力,社会的影響力には著しい格差がある。しかも,原因物質や因果関係,病像の解明には膨大な時間と費用がかかる。さらに,原因物質の蓄積によって疾病が引き起こされる場合は,汚染・ばく露の時期から発症まで数十年の隔たりが生じる場合もある。
このような原因で,多くの公害・薬害事件で,ようやく裁判を起こしたときには,既に一定の被害者は除斥の対象となることが常であった。
その結果,カネミ油症,水俣病,じん肺アスベスト,B型肝炎など,多くの公害・薬害の被害者らが,弁護団の健闘も虚しくバッサリと切り捨てられてきた。
その一方で,本来であれば重い賠償責任を負うべき国や大企業が,この除斥の壁に隠れて,時の経過という一点のみをもって不当に免責されてきた。
この度の判例変更によっても,これらの切り捨てられた被害者らがただちに救済されるわけではない。
しかし,旧優生保護法事件判決で最高裁が指摘した,国の重大な加害責任の自覚や,時の経過によっても消えることのない被害者救済の必要性は,他の公害・薬害事件でも変わらない。もはや,国が除斥の壁の背後に隠れ続けることは許されない。民法改正後もなお,除斥の適用を巡って闘いを続けている事件はまだまだ残っている。国や大企業は責任の重大性を自覚し,被害者らと向き合い,謝罪し,補償と再発防止に誠実に取り組むべきである。
以上