選択的夫婦別姓(別氏)制度について 弁護士 藤田陽子
最近、選択的夫婦別姓(別氏)制度が話題となっています。
選択的夫婦別姓(別氏)制度(以下では「選択的夫婦別氏制度」といいます)とは、夫婦が望む場合には、結婚後も夫婦がそれぞれ結婚前の氏を称することを認める制度です。
選択的夫婦別氏制度についての議論は最近始まったものではなく、法務省は、平成3(1991)年から法制審議会民法部会において、婚姻制度等の見直し審議を行い、平成8(1996)年2月に、法制審議会が「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申しました。同要綱においては、選択的夫婦別氏制度の導入が提言されています。
しかしながら、現在においても法改正はなされず、選択的夫婦別氏制度は導入されていません。
1 現在の民法の規定は夫婦同氏の強制
民法第750条は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と規定しており、婚姻時の夫婦の氏は同じとすることが強制されています。
男性または女性のいずれか一方が氏を変更することになりますが、実際には、約95%において女性が氏を変更しているとのことです。
2 日本はもともとは夫婦同氏が強制されていなかった
氏に関する歴史を見てみると、日本で平民も含めて苗字を名乗ることが許されたのは、明治3(1870)年9月19日の「平民苗字許可令」という太政官布告でした。四民平等の実現のため、平民も苗字を名乗ることが許されたのです。
しかしながら、なかなか苗字の届出が進まなかったことから、明治政府は、明治8(1875)年2月13日、「苗字必称義務令」という太政官布告により「自今必ず苗字を相唱うべく、もっとも祖先以来の苗字不分明の向は新たに苗字を設くべし」として苗字を名乗ることを義務づけました。
このときには、まだ夫婦の氏を同一にすることは求められていませんでした。
夫婦同氏が強制されることになったのは、明治31(1898)年に公布された旧民法においてです。
夫婦は,家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされました(夫婦同氏制)。旧民法は「家」の制度を導入し,夫婦の氏について直接規定を置くのではなく,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用したのです。
家制度は廃止されましたが、夫婦同氏制は現民法に引き継がれました。
3 夫婦同氏を強制することによる問題点
夫婦同氏を強制することについては、主に以下のような問題点が指摘されています。
①夫婦が同氏とならなければ婚姻できないとすることは、婚姻の自由(憲法13条)に反するのではないか。
②氏名は人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものであることからすれば、氏名の変更を強制されるのはアイデンティティの喪失につながり、人格権(憲法13条)を侵害するのではないか
③氏の同一性識別機能からすると、旧姓時代の営業や研究の実績が改姓後に認識されないといった社会生活上の不利益を与えることは憲法24条に違反するのではないか。
④夫婦の一方が従来の氏を維持し、もう片方が従来の氏を改めることを強制するのは、夫婦間の権利の平等に反するのではないか。また、日本では婚姻に際して改氏しているのは約95%が女性であるということから、多くの女性から実質的に氏の選択の機会を奪うものであり、憲法24条に反するのではないか。
【参考】
憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
憲法第24条
第1項 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
第2項 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
4 女性差別撤廃委員会による3回の勧告
日本は、昭和60(1985)年に「女子に対するあらゆる形態の差別撤廃に関する条約」(女子差別撤廃条約)を批准しています。
この女子差別撤廃条約が履行されているか監視するための組織である女子差別撤廃委員会は平成15(2003)年7月、平成21(2009)年8月、平成28(2016)年3月と3度にわたり女性が婚姻前の姓を保持することを可能にする法整備を勧告しています。
すなわち、女子差別撤廃条約第16条1項では「締約国は,婚姻及び家族関係に係るすべての事項について女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとるものとし,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保する。(g)夫及び妻の同一の個人的権利(姓及び職業を選択する権利を含む。)」とされており、事実上、女性が姓の変更を強いられている現状もふまえ、女性が婚姻前の姓を保持することを可能にする法整備を勧告しているのです。
これに対し、日本政府は、指摘された問題に対応するための法改正を行う方針と説明してきましたが、前述のとおり、現在においても法改正措置は実施されていません。
5 2つの最高裁判例
民法上、婚姻に際して、男性又は女性のいずれか一方が、必ず氏を改めなければならない夫婦同氏制度が憲法に違反しているのではないかが争われた裁判がありますが、最高裁判所は平成27年12月16日と令和3年6月23日の2度にわたり、夫婦同氏制度は憲法に違反していないと判断しました。
もっとも、これらの最高裁判所大法廷の判断は、いずれも選択的夫婦別氏制度の導入を否定したものではなく、夫婦の氏に関する制度の在り方は、「国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならないというべきである」と判示しています。
6 日本国内の動き
令和6(2024)年6月18日、経団連は「選択肢のある社会の実現を目指して~女性活躍に対する制度の壁を乗り越える~」として、選択的夫婦別氏制度の早期実現を提言しています。
具体的には、一人ひとりの姓名は、性別にかかわらず、その人格を示すものであり、職業人にとっては、これまで築いてきた社内外の実績や信用、人脈などが紐づく、キャリアそのものであること、これらを保持するためにも、結婚を経ても、本人が望めば自らがアイデンティティを感じる姓を選択できるように社会制度を見直すことは、さらなる女性活躍の観点からはもちろん、性別に関係なくすべての人が自らのキャリアやアイデンティティを守る観点からも、大切な取組みであることなどから、政府には、通称使用による課題を解消し、夫・妻各々が、希望すれば、生まれ持った姓を戸籍上の姓として名乗れる制度の早期実現を求めています。
7 世界の制度
世界において、別氏が選択できない国は日本だけといわれています。
例えば、ドイツやタイでは選択的夫婦別氏です。
ドイツは、強制的夫婦同氏でしたが、改正により婚姻時に夫婦で共通の氏を定めるか、別氏かを選択できるようになりました。子どもの氏については、第一子の出生時に決めた氏をその後に生まれる子どもにも適用することになっています。
韓国や中国は原則別氏です。韓国では、子に関しては、父の氏が原則ですが、父母が婚姻届出の時に協議した場合には母の氏に従うこともできます。中国は子の氏は父または母のいずれかを選択することができます。
アメリカは州によって制度が異なりますが、同氏、複合氏、別氏が可能です。
イギリスも同氏、複合氏、別氏を用いることができます。子どもの氏をつける際にも法的制約はありません。
8 選択的夫婦別氏制度の導入へ向けて
選択的夫婦別氏制度が長期にわたって実現しないのは、家制度の意識が残っているためであるとか、夫婦同一の氏を称しないことにより家族の絆や一体感が損なわれるであるなどの理由で反対されているためであると言われています。
しかしながら、家制度は男性優位の考え方を基礎とするもので、とうの昔に廃止されたものであり、当然理由にはなりません。
家族の絆や一体感の必要性自体は否定されるものではありませんが、氏を同一にしなければ、家族の絆や一体感は守れないものなのでしょうか。夫婦別氏が認められている他の国々において、別氏を認めたことにより家族の一体性が損なわれたという話はみあたりません。また、選択的夫婦別氏制度は、夫婦が同氏か別氏かを選択できるというものであって、氏を同一にすることによる家族の一体感を求めるのであれば、同氏を選択することが可能です。
通称使用により不利益が回避できるので夫婦別氏を認めなくてもいいのではないかという考えもあります。旧姓の通称使用は多くの企業で浸透してきており、弁護士会も通称使用を認めています。
しかし、病院、金融機関や役所など多くの場面で戸籍上の氏の使用が求められます。
また、結局通称氏と戸籍氏の同一性を証明しなければならず、不便を強いられているのが現状です。通称使用で不利益がカバーできるとはいえません。
個人の価値観が多様化している現在において、夫婦別氏を認めない理由は理由とはならないと考えます。
同氏にすることによる不利益を被る人にその選択肢を与えず、不利益を与え続けることこそが問題であり、選択的夫婦別氏制度の早期の導入が求められます。
以上