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「愛は花、君はその種子(たね)」 弁護士白井劍

「愛は花、君はその種子(たね)」 弁護士白井劍

 

〈ジブリ映画の歌〉

ジブリ映画の歌は素敵な歌ばかりだ。「さんぽ」(となりのトトロ)、「風の谷のナウシカ」(ナウシカ)、「いつも何度でも」(千と千尋)、「さよならの夏」(コクリコ坂)、「風になる」(猫の恩返し)、「ひこうき雲」(風立ちぬ)、「君をのせて」(ラピュタ)、「セシル・コルベル」(アリエッティ)、「海の見える街」(魔女の宅急便)、数え上げればきりがない。わたしはどの歌も好きだ。とりわけ好きなのは、「愛は花、君はその種子(たね)」。1991年公開の映画「おもひでぽろぽろ」のエンディング主題歌である。

 

〈日本語の歌詞〉

「愛は花、君はその種子」 原題:「The Rose」より 作曲・作詞:AMANDA McBROOM  訳詞(日本語詞):高畑勲

 やさしさを 押し流す /愛 それは川 /魂を 切り裂く /愛 それはナイフ/とめどない 渇きが /愛だと言うけれど /愛は花 生命の花 /きみは その種子(たね) // 挫けるのを 恐れて /踊らない きみのこころ /醒めるのを 恐れて /チャンス逃す きみの夢 /奪われるのが 嫌さに /与えない こころ /死ぬのを 恐れて /生きることが できない // 長い夜 ただひとり /遠い道 ただひとり /愛なんて 来やしない /そう おもうときには /思い出してごらん 冬 /雪に 埋もれていても /種子は春 おひさまの /愛で 花ひらく

 原曲は1979年に公開された米国映画「ザ・ローズ」の主題歌である。映画の主演はベット・ミドラー。そして、主題歌「ザ・ローズ」を歌ったのもまた、ベット・ミドラーだった。原曲「ザ・ローズ」の歌詞を、「おもひでぽろぽろ」の高畑勲監督が日本語訳した。

 

〈歌うのは都はるみ〉

 映画のエンディングで歌うのは都はるみ。そう申し上げると、たいてい意外そうな顔をされる。「あんこ椿」や「好きになった人」、「北の宿から」の、あの都はるみである。わたしは、「愛は花、君はその種子」は都はるみだからいいのだと思う。初めて聴いたとき、その歌声にわたしは惹かれた。心が動かされるというのは、こういうことかと思った。なぜ惹かれたのか、その後ずっと考えた。行きついた答えは「説得力」だった。都はるみの歌う「愛は花、君はその種子」には優れて説得力がある。けっして押し付けがましくない。しかし、ストレートにこちらに迫ってくる。そして心に響くのである。おそらく本当は音楽性とか歌唱力とか、そういう専門技術の問題なのだろうと思う。でも、わたしは音楽のことは皆目わからない。「説得力」が自分の理解できる範囲でもっともしっくりくる表現だった。

 裁判は人が人を説得する過程である。人である弁護士が人である裁判官を説得するのである。言い換えれば、「説得力」は弁護士が生涯をかけて追求すべきものである。論理の組み立ても、証拠の積み上げも、準備書面の作成も、あるいは集団訴訟における法廷弁論も、煎じ詰めればすべては、「いかにして説得力を増すか」という、この一点を目指す作業である。都はるみが歌う「愛は花、君はその種子」を聴いて最初にわたしが思ったことは、「法廷でこんなふうに弁論ができたら」だった。

 

〈あたたかく励ます歌〉

心が縮こまっていて足を前に踏み出すことができない。暗雲のような不安に覆われ、すくんでしまう。そういう状況に陥ることは、だれにでもある。「挫けるのを恐れて踊らないきみのこころ」と歌われる。挙句に、「死ぬのを恐れて生きることができない」というフレーズにぎくりとする。「愛は花、君はその種子」は、そういう状況に追い込まれた人をあたたかく励ます歌である。

ここには弁護士の役割と通底するものがある。もっとも、弁護士は、かならずしも励ましの言葉をかけるわけではない。100%勝てるかのように言い、わたしに任せておきなさいといって励ますことは、やってはいけないことである。あくまでも言えるギリギリの線は、「ベストを尽くす」である。しかし、「被害者が権利主張さえもできない」状況は、弁護士が看過してはならないことである。公害事件や薬害事件の被害者の多くは権利主張さえもできない状況におかれてきた。そのような状況におかれている被害者を励まし、訴訟をおこし、弁護団を組織し、原告団を組織することもまた、集団訴訟の多くのケースでは弁護士の役割のひとつである。そういうときに、「愛は花、君はその種子」のように、あたたかく励ますことができる弁護士でありたいと思うのである。(以上)