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環境権の法制化をめざして  弁護士 鈴木堯博

1 日弁連「環境権シンポジウム」の開催
 日弁連(日本弁護士連合会)は、2025年6月7日(土)、弁護士会館でハイブリッド形式による「環境権シンポジウム」(以下、「環境権シンポ」)を開催した。学際的な研究者組織の「日本環境会議」との共催によるものである。
 「環境権シンポ」の正式な名称は、「持続可能な社会の実現のために環境権の法制化を目指して~人と地球の未来を守る法制度とは~」である。
 日本の環境政策の基本となるべき「環境基本法」が制定されてから30年が経過した現在に至るも、日本では「環境権」が明確には認められていない。
 しかし、世界に目を向けると、国連として初めて「環境権」を宣言した1972年のストックホルム「国連・人間環境会議」以降、国連加盟国193カ国のうち156ヵ国の国(80%)が環境権を認めるに至っている。
 日本は、残念ながら、環境権については後進国になっていると言わざるを得ない。
 近年、気候変動危機の中で、気温の上昇、極端な気象現象、生態系の破壊などが加速して、地球温暖化や異常気象が深刻化し、環境や社会に大きな影響を及ぼしている。
 環境権シンポは、人と地球の未来を守るために、「環境権」の法制化の実現を目指していくことを目的としたシンポジウムである。会場参加とZOOM参加を含めて約300人が参加した。会場には、「若者気候訴訟」を闘っている原告団の若者達や、持続可能な社会に向けた活動をしている若者グループなど、未来を担う若者世代の参加者の姿が多く目立った。
 そして、シンポジウムではパネルディスカッションを中心に活発な討論が行われた。
 最後に、「環境権」に関する著名な学者である淡路剛久先生と宮本憲一先生の力強い発言がなされた。
 そして、「環境権」の法制化の実現を目指して今後活発に活動していくことを、シンポジウム参加者一同の熱い拍手をもって、確認し合った。

2 環境権とはどんな権利か
 環境権とは、「環境を破壊から守るために、良い環境を享受し得る権利」である。1970年に東京で開催された「公害国際シンポジウム」において、「人間の生きる権利」の一部として初めて提唱された。その後、1972年のストックホルム「国連・人間環境会議」でも、1992年のリオ宣言でも、同様の趣旨が確認された。
 そして、2022年の国連総会において、環境権を確立する決議が161カ国の賛成、反対なし、棄権8カ国で承認された。これは生物多様性など環境破壊を防止する画期的な決議であると評価されている(宮本憲一著「われら自身の希望の未来」16頁)。
 環境権は、みだりに環境を汚染し住民の快適な生活を妨げている者、あるいは妨げようとしている者に対しては、この権利に基づいて、妨害の排除、または妨害の予防を請求し得るものとされている。
 環境権が憲法上の権利であることについては、憲法の学説上において、生存権に関する憲法25条、幸福追求権に関する憲法13条を根拠として認められている。
 しかし、現在までの判例では、環境権を正面から国民各人の権利として認めることを避けたものとなっている。

3 「大阪空港公害訴訟判決」について
 「大阪空港公害訴訟」では、人格権、環境権に基づく民事上の請求が認められるかどうかが重要な争点となった。
 「大阪空港公害訴訟」とは、大阪国際空港(伊丹空港)の周辺住民が、航空機の騒音公害に悩まされ、夜間の空港利用の差止めと損害賠償を求めた民事訴訟である。1969年に住民が日本政府を相手取って提訴した。そして、一審の大阪地方裁判所では一部の請求が認められ、二審の大阪高等裁判所では原告の請求が全面的に認容された。
 しかし、最高裁判所では一転して住民の訴えを退ける判決が言渡された。夜間飛行の差し止め請求と将来の損害賠償請求は却下され、過去の損害賠償請求のみが認められただけで終わった。
 なぜ、結論が覆ったのか。
 2023年4月に放映されたNHKのETV特集「誰のための司法か~団藤重光・最高裁事件ノート~」がその経緯を明らかにした。
 当時の最高裁判事の中で少数意見を書いた団藤重光判事(刑法学者)は、訴訟の経緯を記した「最高裁事件ノート」を遺していた。そのノートには、最高裁第一小法廷で審理されていた段階では、差し止めを認めた大阪高等裁判所の判決を追認する方向だったところ、村上朝一・元最高裁長官から大法廷で審理するよう介入があったために結論が覆ったとして、「この種の介入は怪しからぬことだ。」と記されていた。
 もしも「介入」がなかったら、と思うと、誠に残念なことである。

4 環境権の法制化実現を目指して
 日本では、前記のとおり、環境権の提唱から55年が経過した現在でも、環境権は明確には認められていない。
 人と地球の未来のために、市民が力を合わせ、環境権を確立するための活動を行うことが必要である。
 日本では公害問題や環境保全に関する議論と活動が長い歴史を持っている。
 特に1960年代後半から始まった公害の深刻化は、社会全体に大きな影響を及ぼした。この時期に、多くの公害被害者団体や市民団体が立ち上がって住民運動が発展し、法律や政策の整備が進められるきっかけを作った。
 環境権の法制化を実現するには、この時の教訓を生かして、持続可能な社会の構築に向けた取り組みを活発化させ、環境権の法制化をめざす国民的な活動をこれから本格化させていくことが必要不可欠である。

以上