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国がにぎり潰したB.5.b~福島原発事故は回避できた 弁護士白井劍

「国がにぎり潰したB.5.b~福島原発事故は回避できた」 弁護士白井劍

                                 

〈長谷川公一先生の証人尋問〉 

2025年9月19日金曜、仙台高裁で、福島原発事故をめぐる津島訴訟の控訴審15回目の法廷が開かれた。長谷川公一先生(東北大学名誉教授、現・盛岡大学学長)の証人尋問だった。原告被告双方からの他の尋問申請がすべて却下され、原告側が申請した長谷川先生の尋問だけが採用された。先生は多年にわたって環境社会学者としての立場から、海外との対比で、わが国の原発安全規制を研究し、その問題点を論じてきた。尋問は、裁判所の指示により、「B.5.b」(ビー・ファイブ・ビー)に絞っておこなわれた。

 

〈B.5.b(ビー・ファイブ・ビー)とは〉

 B.5.b(ビー・ファイブ・ビー)は、アメリカ合衆国の「NRC(原子力規制委員会)」が2002年2月25日に発令した命令を構成する条項である。「§B.5.b(セクション・ビー・ファイブ・ビー)」は「第〇条第〇項」と同様、条項の名称にすぎない。しかし、その重要性から、「B.5.b」といえば、NRCの2002年命令の一節であると了解されてきた。全米の運転中のすべての原発104基に義務づけられ、半年の期限ですべての原発が命令に従ってB.5.bによる対策をとった。その中心概念は、「最悪の危機的状況でも冷やし続けること」である。原発施設の大部分が破壊されて内部電源も外部電源も失われ、原子炉を安全に停止させる本来の機能が失われた危機的状況にあっても、原子炉と使用済み核燃料プールを冷やし続けることのできる対策をあらかじめとっておく。しかも、堤防など建造物に巨額の費用と期間をかけるのではなく、低コストで短期間に準備できる対策である。具体的には、電気を要しない手動装置、可搬式電源と可搬式高圧ポンプなどの容易に入手できる設備を常備し、いつでも使いこなせるよう常日頃から訓練をおこなうなどの対策である。

 

〈9.11同時多発テロがきっかけ〉

 きっかけはテロ対策だった。2001年9月11日、ハイジャックされた民間旅客機が自爆テロに利用される同時多発テロ事件が発生した。この同時多発テロをきっかけに、NRCは同様のテロが原発を襲ったらというシミュレーションをおこない、対策を検討した。実際に9.11のテロ犯たちも、原発を標的にしたテロを計画していたことも明らかになった。検討の結果、NRCが出した答えが、2002年命令の発令であり、その中核をなすものがB.5.bだった。

 

〈B.5.bの2つの側面のひとつ~テロ対策としての側面〉

 B.5.bは、2002年発令時から現在まで「非公開」とされてきた。テロ対策のためのセキュリティ情報であるから、テロに利用されかねないというのがその理由である。しかし、テロ対策はB.5.bのひとつの側面でしかない。

 

〈もう1つの側面~過酷事故対策としての側面〉

B.5.bにはもうひとつの側面がある。過酷事故対策としての側面である。スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故、福島原発事故のように、設計時の想定を大きく超え、原子炉の冷却ができなくなるなどして、炉心が重大な損傷をうける事故は「過酷事故」(シビアアクシデント)と呼ばれる。炉心に重大な損傷が生じ、水素爆発が起こったりすれば、環境中に大量の放射性物質が放散されることになる。過酷事故を防ぐキーポイントは「冷やし続ける」ことである。

原発は核分裂を利用する発電システムである。運転を停止しても、原子炉内にたまっている核分裂生成物が自然崩壊し、莫大な崩壊熱を発する。冷却し続けることができなければ、崩壊熱が核燃料を溶かし、さらに原子炉に重大な損傷を与える。原発は本来、「冷やしつづけなければ過酷事故にいたる」発電施設なのである。「最悪の危機的状況でも冷やし続ける」というB.5.bの中心概念は、まさに過酷事故をいかに防ぐかという対策そのものである。長谷川公一先生は、裁判所に提出した意見書のなかで、「何より重要なのは、B.5.bが、長時間の全電源喪失に備えた対策を含む、過酷事故に至るプロセスをいかに防ぐかという対策だったことである。B.5.bの本質は高次元のシビアアクシデント対策そのものである」と述べている。

 

〈どのような原因であれ広く原発過酷事故を防ぐB.5.b〉

 わが国の場合、過酷事故を防ぐ対策は原因別に縦割りにおこなわれる。当該原発で地震が起きるかどうかが議論される。津波や洪水やテロも同様である。しかし、そのような「原因別の縦割りの対策」では、災害が複合した場合や新たなタイプのテロや自然災害にはお手上げになってしまう。実際、原発事故の国の責任を否定した2022年6月17日最高裁判決は、想定を超える津波であったとして、対策をとっても津波が敷地を超えて侵入するのを防ぐことはできなかったと判断した。

これに対してB.5.bは「原因別」の考え方をとらない。そうではなく、「どのような原因であれ」がその特徴である。「どのような原因であれ」原発施設の大部分が破壊されて、電源をすべて失い冷却機能が失われた最悪の危機的状況に備えるのである。原因を問わず広く過酷事故を防ぐための対策なのである。

 

〈日本の保安院はNRCから呼ばれ2度にわたってB.5.bを調査した〉

日本の「原子力安全・保安院」(以下、「保安院」という)は2006年3月と2008年5月の2度にわたってB.5.bを調査した。いずれも米国NRCからの呼びかけに応じた調査だった。しかし、調査結果は保安院内にとどめられ、関係規制機関とも、電気事業者とも共有されることはなかった。保安院が後日NRCから得た資料もすべて機密情報として死蔵されてしまった。

2009年には東京電力の原子炉安全担当マネージャーが、NRCの動きから何かあるのではないかと疑問をもち、「保安院に訊きにいったが情報は得られなかった」と東京電力は事故後に述べている。情報を共有しなかったのは怠慢というレベルの話ではない。そうではなく、「情報をいっさい外に出さない」という、保安院上層部の確定的に明確な方針に貫かれた行動であった。故意ににぎり潰したのである。

 

〈保安院はなぜB.5.bをにぎり潰したのか〉

保安院がB.5.bの情報をなぜにぎり潰したと考えられるかというわたしの質問に長谷川公一先生は、「履歴効果とも言いますが、B.5.bによる対策の実施を電力会社に指示することは、『長時間の全交流電源喪失は起きない』あるいは『シビアアクシデントは日本では起きない。だから企業の自主的対応にまかせて規制対象としない』という従前の政策、国会答弁等と矛盾してしまうからです。電力会社側からの抵抗・反発も想定したはずです」という趣旨を述べた。

 

〈B.5.bが実施されていれば福島原発事故はなかった〉

福島原発事故に関する国会事故調査報告書は、「防衛にかかわる機微情報に配慮しつつ、必要な部分を電気事業者に伝え、対策を要求していれば、今回の事故は防げた可能性がある」と結論づけている。原発事故の年の10月に大阪大学でおこなわれた第19回原子力工学国際会議で、NRCの元委員長であったNils.J.Diaz(ディアーズ)は、基調講演者のひとりとして講演をおこない、スライドを示しつつ、「もし仮に、日本でB.5.b型の安全性強化策を効果的かつタイムリーに実施していれば、福島第1原子力発電所の運転員が直面した事態は軽減されたであろうし、とりわけ、全交流電源喪失ならびに炉心および燃料プールの冷却への対処がなされていたであろう」と述べた。同様に保安院がB.5.bを握りつぶさなければ福島原発事故を防ぐことができたという趣旨は、政府事故調でも、米国科学アカデミーの事故報告書でも、さらには東京電力の総括文書でも、一致して述べられているところである。

 

〈第2の砦があれば〉

長谷川先生は証言の最後に、「津波対策という第1の砦がやぶれても、保安院がB.5.bを真剣に受け止め、第2の砦となる過酷事故対策がおこなわれていたら、原発事故は起こらなかったし、津島の地域や住民の暮らしはまもられていたはずだ」と述べた。

国が2度の調査をおこないながら、B.5.bに関する情報をすべて握りつぶしてしまい、第2の砦としての安全規制をおこなわなかったことは、まさに痛恨事である。福島原発事故に関する国の責任は重いといわねばならない。(以上)