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「国旗損壊罪」に断固として反対する 弁護士白井劍

 

「国旗損壊罪」に断固として反対する 弁護士白井劍

 

〈高市自民政権と維新・参政が推進する「国旗損壊罪」〉

参政党は2025年10月27日「日本国国章損壊罪」を盛り込んだ刑法改正案を参院に提出した。国旗を破いたり燃やしたりなどを処罰する法案である。神谷代表は7月の参院選で党の街頭演説で市民らが「バツ」印を付けた日の丸を掲げて抗議した事例を挙げ、「国家に対する冒涜(ぼうとく)にもなるから早く法制化すべきだ」と法案提案理由を説明した。自民党と日本維新の会の連立政権合意書でも同様の罪を来年の通常国会で制定することを目指すとしている。高市早苗氏は2012年5月平沢勝栄、柴山昌彦などの自民党議員とともに、「日本国を侮辱する目的で国旗を損壊、除去、汚損した者」に2年以下の懲役等を科すという刑法改正案を議員立法として議案提出したことがある(審議未了で廃案になった)。そういう人物がいま首相になり、国旗損壊罪を推進しようとしている。

 

〈外国国章損壊罪との対比は筋違い〉

刑法には外国国旗の損壊を処罰する「外国国章損壊罪」が規定されている。日本の国旗は対象とされてない。これではバランスを失すると推進勢力は主張する。とんだ見当違いである。外国国旗の損壊を罰するのは良好な外交関係に亀裂がはいることを防ぐためである。保護法益は良好な外交関係である。自国の国旗の場合はその理屈は成り立たない。

 

〈敬意は強制しても生まれない〉

 推進勢力は、「国旗に敬意を払うのは当然だ。だからこれを侮辱する行為は処罰せねばならない」と言う。しかし、敬意というものは自らの心の奥から湧き上がってくる感情である。その感情がないのに無理に示す敬意は、心のこもっていない飾りにすぎない。まして、刑罰で強制される敬意は「偽りの敬意」である。しかし、「偽り」がくり返されれば変質する。「偽りの敬意」もくり返されれば「本当の敬意」と区別がつかなくなってしまう。

 

〈沖縄国体「日の丸」焼却事件〉

国旗の損壊に関しては、有名な沖縄国体「日の丸」焼却事件がある。1987年10月に沖縄県で開催された第42回国民体育大会でのできごとである。ソフトボール競技会の開会式で掲揚された「日の丸」を引き降ろして焼却した人がいた。読谷村の知花昌一さんである。ライターで火をつけ燃え上がらせてから、その場に投げ捨てた。かれは現行犯逮捕を覚悟しておこなった。でも、その場にいた人びとに説得されていったんは身を隠した。その後みずから警察に出頭した。1993年3月23日那覇地方裁判所は建造物侵入・器物損壊・威力業務妨害の成立を認めて懲役1年執行猶予3年の判決を言い渡した。福岡高等裁判所那覇支部1995年10月26日判決は控訴棄却だった。知花さんが上告しなかったので判決が確定した。

この事件の背景には当時の沖縄の世論、とりわけ地元読谷村の世論がある。かつて米国施政下では本土復帰のシンボルであった「日の丸」は、本土復帰後は、米軍基地を沖縄に押し付け、本土とは隔絶したさまざまな不利益を沖縄に押し付ける、理不尽な「国のありよう」を象徴する旗となった。その旗を掲揚して仰ぎ見よということは、そのような「国のありよう」を受け入れよということである。大会前年12月の読谷村議会において、「日の丸掲揚、君が代斉唱の押しつけに反対する要請決議」が採択された。また、日の丸旗掲揚や君が代斉唱の強制に反対する署名が8000名以上(村民の約3割)から集められた。それにもかかわらず日の丸掲揚は強行された。上から押し付けられ、人びとの思いがふみにじられた。知花さんだけでなく地元の多くの人びとがそう思った。わたしは暗い気持ちになる。歴代政府の沖縄に対する、人を人とも思わないやり方に悲しみと恥ずかしさを覚える。本土に住む者のひとりとして情けなさと申し訳なさを抱く。いつもそうなのだ。

 

〈国旗の向こうにひとは何を見るのか〉

大先輩の弁護士の澤藤統一郎先生といっしょに国会議員会館に、社会民主党の照屋寛徳先生を訪ねたことがある。2022年にお亡くなりになったから、それが最初で最後の訪問となった。訪れた理由は別件だったが、用件が終わると話題は沖縄国体「日の丸」焼却事件になった。照屋先生は弁護士であり事件当時は県会議員でもあった。事件のことも知花昌一さんのこともよくごぞんじだった。別れ際に照屋先生はこうおっしゃった。

「式典の最初に起立して正面を向いてお辞儀するでしょ。正面には国旗がある。そこにだれもいないのにお辞儀する。それから、演台に上ったり下りたりするたびに多くのひとが国旗に向かって頭を下げます。いったい何に向かって頭を下げるのでしょう。国旗のむこうにひとは何を見るのでしょう。国家を見るのです。国家に対しては理屈抜きに頭を下げねばならない。頭を下げるひとも、それを見ているひとも、そんなふうに思わされる。どんなに酷いことをする国家であっても、です。事実と論理のすべてを飛び越して、意識の下に刷り込まれるのです。怖ろしいことです」。

 

〈国旗損壊罪の保護法益はなにか〉

国旗とは特定のデザインが描かれた布または紙である。布や紙が他人の所有物であれば、損壊すれば器物損壊罪に当たる。現に知花昌一さんは器物損壊と建造物侵入と威力業務妨害で有罪判決をうけた。あらたな罪名をつくり出す必要などなく、もう充分なはずである。ところが、高市首相たちは、「国旗損壊罪」をあらたにつくるという。それでは、「国旗損壊罪」の保護法益はなにか。それは国家の権威である。国民は国家に敬意をもたねばならない。国旗を毀損する行為は国家の権威を否定し国家を侮辱する行為であるから処罰しなければならない、というわけである。言い換えれば、国家に対して敬意をもつことを刑罰の脅しをもって義務づけるのが国旗損壊罪である。その義務づけは、すべての国民を対象とする。

 

〈もう「ひとごと」ではすまない〉

2003年10月以降現在まで、都立学校(都立高校と都立特別支援学校)のすべての教職員に卒業式や入学式等における国旗国歌に対する敬意表明(起立と斉唱)が義務づけられている。従わなければ制裁(懲戒処分)を科される。大阪府でも同様である。国旗と国歌に対する敬意を義務づけられるのは、これまでは教職員だけであった。他の職業の人にとっては「ひとごと」であった。国旗損壊罪がつくられればすべての国民が義務づけられる。もう「ひとごと」ではすまない。

 

〈「国のありよう」に対する異議を排除する社会はどういう社会なのか〉

国旗は国家シンボルである。「国旗に敬意を払え」ということは「国家に敬意を払え」ということである。この場合の「国家」は政治的に無色透明の存在(地図上のどこに位置し、人口がどれほどで、などといった知識教育で習う事柄の集積)ではない。そうではなく、国民に真摯に向き合うかどうかを含めた「国のありよう」である。「国のありよう」を1945年以前のわが国では「國體」と呼んだ。「國體」に異議を表明するには生命を懸けねばならなかった。ほんの80年ほど前のことである。

民主主義は、「国のありよう」に対して異議を表明する自由が保障されてはじめて成り立つ。「国のありよう」に対する異議を排除し、これに対する敬意をもつことを義務づけるならば民主主義は否定され全体主義に陥る。たとえ民主主義社会の装いをまとっても、その内実は全体主義である。

「国旗損壊罪」の創設は、この国の民主主義を掘り崩し、全体主義へと傾斜させてしまう、重大な転換点になる。そういう岐路にわたしたちはいま立っている。

 

〈米合衆国連邦最高裁の判例の系譜〉

米国の合衆国連邦最高裁には、国旗に対する侮辱をめぐる事件の裁判例が豊富にある。いくつかを紹介する(土屋英雄著「自由と忠誠」149頁以下より。ただし抜粋し要約した)。

1969年ストリート事件判決(Street v. New York, 394 U.S.576):国旗に対する侮辱がニューヨーク州法によって訴追された。連邦最高裁は、その州法の本件への適用は違憲として、被告人を無罪とした。判決は、「公共の場での思想の表明は、それを聴く者の一部を不快にさせるという理由だけで禁止することはできない」と述べ、「現存の秩序の核心に触れる事柄について他人と異なる自由は、挑戦的で侮蔑的な意見を含めて、国旗についての意見を公共の場で表明する自由を包含している」などと述べている。

1974年ゴーグェン事件判決(Smith v. Goguen, 415 U.S.566):米国国旗を尻のところに縫い付けたズボンを履いていた人がマサチューセッツ州法により訴追された。連邦最高裁は、当該州法の国旗侮辱条項は過度に広範で漠然としているという理由で違憲とした。

1974年スペンス事件判決(Spence v. Washington, 418 U.S.405):カンボジア侵攻等に抗議して、ピースシンボルを貼り付けた星条旗を自分のアパートの窓からさかさまに垂らしていた人が、ワシントン州法により訴追された。当該州法は、一定の加工をした国旗の展示を禁止していた。州側は、国家の純粋なシンボルとしての国旗を維持するという政府の利益を主張した。連邦最高裁は被告人を無罪としたが、判決のなかでつぎのとおり述べている。国旗は人によって様々な程度で異なった意味をもち、人はシンボルからそれに自ら注ぎ込む意味を受け取る。シンボルは、「意味のスペクトル(a spectrum of meaning)」を同時に伝達する。国旗もそうである。被告人は、国旗が思想を伝えるために通常使用される仕方に類似した方法で国旗を展示したにすぎず、それは連邦憲法修正第1条の保障の範囲内にある。

1989年ジョンソン事件判決(Texas v. Johnson, 491 U.S.397):レーガン政権に抗議するため国旗を焼却したこと等が、国旗の冒涜を禁止するテキサス州法に違反するとして訴追された事件である。連邦最高裁は、当該州法の適用は修正第1条違反であるとして無罪とした。判決は、州側が主張した治安妨害の防止について、治安妨害の可能性だけでは表現抑制の根拠となりえないとした。また、国家と国民統一のシンボルとしての国旗の維持という州の利益については、「もし修正第1条に基盤的原理があるとすれば、それは、政府は、社会が不快だとか賛同できないと思うからといって、考えの表明を禁止することはできない、ということである」と述べ、「政府は、純粋なシンボルとしての国旗を維持するために努力することへの正当な利益をもっているが、このことは、政治的抗議の手段として国旗を焼却することを処罰してもよいということを意味しない」などと述べた。

 

〈窮屈な社会はごめんだ〉

国旗国歌法は、1999年第145回国会に法律案として上程され同年8月9日可決成立した。国会に上程される以前、内閣官房副長官をキャップとする作業チームと内閣法制局とのあいだで複数の草案が検討されて法律案がつくられていった。最大の問題は、国旗国歌に対する国民の尊重義務を規定するかどうかであった。政府・与党内には尊重義務の法定を求める声があった。慎重に検討が重ねられた結果、尊重義務規定のない法案が国会に上程された。法制化10年後の2009年、8月18日付朝日新聞朝刊社会面は「国旗国歌法草案」に関する記者署名入りの記事を載せた。記事は、当時の野中広務内閣官房長官と古川貞二郎副長官からのインタビューをつぎのとおりに載せている。「古川氏:(尊重義務が)必要だという議論はあり、草案は幅広めにつくったように思う。私自身は早くから、国旗国歌とはこういうものだと示せば十分ではないかと考えていた。尊重義務などを書けば、罰則がなくても『義務を守らないのは、けしからん』などと言い出す人がいるかもしれない。そうした余地はないほうがいい」「野中氏:(尊重義務について)古川君から相談を受けたことがある。『残したほうがいいですね』と言うので、『残さんほうがいいでしょう』と答えた。(尊重義務は)火種になる。政争の具にすべきでないと思ったからだ」。記事は、当時の大森政輔内閣法制局長官とのインタビューも載せている。大森氏はこう述べている。「君が代を歌わないことをとやかく言われたり、国旗に敬礼しなければいけなかったりする社会は窮屈だ。歌いたくなければ歌わずに済む社会が私はいい」。

 

〈問題の本質~国家のために個人があるのか個人のために国家があるのか〉

日本国憲法は国家の権威が国民に由来することを宣明している。国家のために個人があるのではない。国民が国家の主体であり、国家が個人のためにあらねばならない。そのことが、わが憲法の背骨をつらぬく基本原理である。刑罰による脅しをもって国旗に対する敬意を義務づけることは、個人が「国のありよう」を認めて受け容れることを義務づけることである。この義務づけは、「個人のために国家がある」という憲法秩序を「国家のために個人がある」に転換させてしまう。だから、わたしは「国旗損壊罪」に断固として反対する。(以上)