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「裁判官の良心」とは何だろうか 弁護士 鈴木堯博

1 「裁判官の良心」の意味
 私は、「福島原発事故賠償訴訟」に、原告(被害者)代理人の立場で関わっているが、「裁判官の良心」とは何だろうか、と考えさせられる場面に遭遇することが多い。
 憲法76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される。」と定めて、裁判官は「その良心に従う」べきことを求めている。
 「裁判官の良心」の意味については、学者の中でも議論があり、通説は、いわゆる「客観的良心説」にたっている。
 通説によれば、「それぞれの裁判官個人の良心、すなわち裁判官個人の主観的良心(すなわちその思想、世界観、人生観等)を意味するのではなく、裁判官としての良心を意味する」(佐藤功)、「裁判官としての客観的良心ないし裁判官の職業倫理」(佐藤幸治)、「客観的な『裁判官としての良心』」(清宮四郎・宮沢俊義・芦部信喜)などと解されている。
 判例は、「裁判官が有形無形の外部の圧迫乃至誘惑に屈しないで自己内心の良識と道徳観に従う」意味であり(最大判1948.11.17)、「裁判官は法の範囲内において、自ら是なりと信ずる処に従って裁判をすれば、それで憲法のいう良心に従った裁判といえる」(最大判1948.12.15)としている。「自ら是なりと信ずる処」は、人によって違うとも言えるので、主観的良心説に近いようにも見えるが、必ずしも明らかではない。
 「良心」の国語辞書的意味は、「何が善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識」(広辞苑)、「善悪・正邪を判断し、自分の行いを正しいものにしようとする心のはたらき」(明鏡国語辞典)であるから、「裁判官の良心」も「善」を求める道徳意識が根底にあると思われる。
 他方で、「裁判は一種の国家意思を形成する機能を持つものである」(伊藤正巳)という点からすると、「裁判官の良心」も、「国家意思形成機能」と結びついてしまう場合には、時の政権の意向を忖度して、「良心」自体が錆びついてしまうのではないだろうか、という懸念も生じる。

 以下に述べるとおり、原告らが国家賠償責任を追及する福島原発事故賠償訴訟における2022年6月17日最高裁判決多数意見と、2026年に言渡された最高裁判決や高裁判決が「『裁判官の良心』とは何だろうか」という問題を改めて問いかけている。

2 福島原発事故賠償訴訟の2022年6月17日最高裁判決
 2022年6月17日の最高裁判所第二小法廷は、国の賠償責任を認めない判決を言い渡した。いわゆる「6.17最高裁判決」である。
 この判決は、3名の多数意見と1名の少数意見とに分かれた。
 3名の多数意見(菅野博之、岡村和美、草野耕一)は、「仮に、経済産業大臣が、本件長期評価を前提に、電気事業法40条に基づく規制権限を行使して、津波による本件発電所の事故を防ぐための適切な措置を講ずることを東京電力に義務付け、東京電力がその義務を履行していたとしても、・・・本件事故と同様の事故が発生するに至っていた可能性が相当にあるといわざるを得ない」、「経済産業大臣が上記の規制権限を行使していれば本件事故又はこれと同様の事故が発生しなかったであろうという関係を認めることはできない。」として、国は国家賠償法上の責任がないとした。
 他方、1名の少数意見は、検察官出身の三浦守裁判官の意見である。
 三浦裁判官は、「遅くとも・・・平成15年7月頃までの間に、本件各原子炉施設について、原子炉施設等が津波により損傷を受けるおそれがあると認識することができ、東京電力に対し・・・命令を発する必要があることを認識することができたものと認められる」とした。そして、さらに詳細に論じた上で、「経済産業大臣が上記規制権限を行使しなかったことは・・・著しく合理性を欠くものであって、国家賠償法1条1項の適用上違法であるというべきである。」として、国家賠償責任を認めた。
 同じ事件の判決で、同じ証拠に基づいて判断する裁判体を構成する裁判官らの結論が真逆になった。この違いは、甚大且つ不可逆的な原発事故被害の実相を直視しているかどうかによるものであり、「裁判官の良心」の内実に起因するものではないだろうか。
 三浦裁判官の意見こそ、「裁判官の良心」に根差すものと私は考える。

3 原発避難者に対する住宅退去訴訟の2026年1月9日最高裁判決
 東京電力福島第一原発事故で東京都内の国家公務員宿舎に自主避難し、無償提供終了後も退去しなかったとして、居住していた住民に福島県が明け渡しを求めた訴訟の上告審判決が、2026年1月9日、最高裁第二小法廷(三浦守裁判長)で言い渡された。住民側の上告を棄却し、住民に明け渡しなどを命じた一、二審判決が確定した。
 この判決も、前記2022年6月17日判決と同じく、3名の多数意見(岡村和美、尾島明、高須順一)と1名の少数意見(三浦守)とに分かれた。
 三浦裁判長の反対意見は、全文26頁中15頁を占め、避難指示区域外の住民に対し、応急仮設住宅の無償提供を一律に取りやめた県の対応は、「社会通念に反する権利の濫用に当たり許されない」として、裁量権の範囲を逸脱し、違法だなどとする反対意見を述べた。私は、三浦裁判長の反対意見にこそ、「裁判官の良心」が遺憾なく発揮されたものと考える。
 他方、3名の多数意見には「裁判の良心」が感じられない。とりわけ、高須順一裁判官は、2025年3月に弁護士から最高裁判事に就任したものであるが、従来の巨大ローファーム出身の弁護士ではなく、いわゆる「町弁」の弁護士であった。その裁判官が、三浦裁判長の意見を支持しないで、退去等を命じる多数意見に安易に組したことに対して、私は強い違和感を覚えた。やはり  「裁判官の良心」の問題であろうか。

4 福島原発事故賠償訴訟2026年1月22日最高裁第一小法廷決定
 2026年1月22日、最高裁第一小法廷(裁判長・安浪亮介、岡正晶、宮川美津子、中村愼)は、裁判官4名全員一致で、福島原発事故につき、国による規制権限不行使の違法を問うて損害賠償を提起していた避難者ら「9訴訟の原告団・弁護団」の各上告・上告受理申立てに対して、それぞれ「上告棄却」・「上告受理申立て不受理」の決定を出した。「決定書」には何の理由も記載されておらず、定型的パターンによる結論だけの、まさに「三行半(みくだりはん)」の決定であった。
 上記の「9訴訟の原告団・弁護団」とは、①千葉訴訟、②愛知・岐阜訴訟、③だまっちゃおれん!愛知・岐阜訴訟、④山形訴訟、⑤みやぎ訴訟、⑥新潟訴訟、⑦東京訴訟、⑧かながわ訴訟、⑨京都訴訟の「原告団・弁護団」である。
 本決定は、「6.17最高裁判決」の多数意見の結論に追随したものであるが、「6.17最高裁判決」の場合と異なり、少数意見もなかった。
 「裁判官の良心」は一体どこに行ってしまったのであろうか。

5 福島原発事故被害賠償九州訴訟2026年2月4日福岡高裁判決
 福島原発事故被害賠償九州訴訟は、福島原発事故により福岡県等九州方面に避難を余儀なくされた避難者が提起した訴訟であるが、福岡高裁は2026年2月4日に判決を言渡した。本判決は、6.17最高裁判決に追随した「コピペ」判決であり、被告国の責任を否定した。
 「裁判官の良心」の片鱗すら垣間見ることもできない。

6 原発事故被害の甚大性
 原発事故がひとたび発生すれば、放射能は人体、大気、土壌、森林、河川、海水に蓄積され、累積する。現在のみならず何世紀にもわたって被害は続く。原発事故被害の甚大性ははかり知れないものがある。
 福島原発事故から15年が経過している現在もなお、本件事故によって住み慣れた地域を追われ、未来を変えさせられ、健康を害され、人生を奪われた被害は、未だ収束することがなく、その目途すら立たない状況にある。
 国の責任を否定した判決を言渡した裁判官の「良心」は、原発事故被害の甚大性にまともに向き合っているとは到底言えない。

7 著名な民法学者の見解
 公害・環境関連訴訟を長年に亘り研究し分析してきた著名な民法学者である吉村良一立命館大名誉教授は、「損害賠償訴訟における理論と実務」(日本評論社、2025年12月刊行)において、6.17最高裁判決について、以下のとおり指摘している。

 「国の責任を否定した最高裁多数意見は、全国各地の集団訴訟の原告らはもちろん、報道関係者、さらには法律専門家からの広範な批判にさらされている。本最高裁判決は、国民の誰をも説得できず、誰の納得も得られていない。
 なぜ本判決は誰をも説得しないのか。それはこの判決が、(結論の当否もさることながら)国の責任の有無を明らかにする上で当然検討されるべき事柄につき、検討を怠っているからである。本判決の多数意見は、すでに指摘したように、原発という「万が一」にも重大事故を起こしてはならない施設における規制のあり方についても、その根拠となる原子力規制法令についても殆ど言及していない。また、具体的な権限の行使の根拠となる津波を予見できたのか、予見できないとしてそれはいつの時点かについても判断を示していない。これらの判断が示されなければ、国の責任の有無は判断できないはずではないか。また、過酷事故を防げたかという結果回避の争点についても同様の不備が見られる。

              ・・・・・(中略)・・・・・

 最高裁としては、このような指摘・批判がある事態を重く受けとめ、『すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。』(憲法76条3項)という憲法の規範に従い、司法・裁判の役割についての矜持を示すことが、今何よりももとめられているのではないだろうか。」
 最高裁は、上記の見解を真っ当に受け止めるべきである。

8 今後の福島原発事故訴訟判決への期待
 6.17最高裁判決を乗り越えて、国の責任を認める判決を勝ち取るために、全国各地の原発事故賠償訴訟原告団・弁護団は、現在も引き続き、各専門分野の研究者と協働しつつ、懸命な努力を重ねている。

 吉村良一立命館大名誉教授は、前述の著書(221頁以下)において、「浪江町津島地区の住民らが、国と東電を訴えた津島訴訟において、原告らは、控訴審段階で、国の責任について、以下のような新しい主張を行っている。」として、原告らの準備書面の内容を詳しく紹介したうえで、「『国策民営』と言われる実態の中で、福島原発は(事実上)国が設置したに等しいと考え、そこを起点に、いくつかの局面において福島原発の安全性に関わる国の関与があって、そのことが今回の重大な事故を引き起こしたという考え方であり、安全性に関わる国の重大な関与を具体的にあぶり出すことができれば、成り立ち得る考え方である。」とする。そして、「原発の設置からその後の運転段階まで国が積極的な関与をしてきたことという原発事故の特質を踏まえた国の責任論が求められている。」と指摘している。
 ちなみに、津島訴訟弁護団の事務局長は、当事務所の白井劍弁護士である。
 津島訴訟の控訴審(仙台高裁)は本年3月9日に結審し、そして、本年秋頃には控訴審判決が言渡される。当事者の何れかが最高裁に上告することになるであろう。
 いずれ、「裁判官の良心」が発揮されて、国の責任を認める最高裁判決が言い渡される日が来るものと、私は強く期待している。
 そうでなければ、司法のよって立つ基盤である「国民の信頼」を失うとともに、司法は「自殺行為をした」と、後世からも厳しく批判されることになるであろう。
 「裁判官の良心」を目覚めさせ、発揮させるには、市民一人一人が力を合わせて声を上げ続け、国民的な運動を構築することが必要であると思う。

以上