「ふるさと」とは何だろうか
弁護士 鈴木堯博
誰にでも「ふるさと」はある。
次の詩歌にあるように「ふるさと」は誰の心の中にも深く刻まれているはずだ。
高野辰之 「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川 夢は今も めぐり
て 忘れがたき 故郷」
石川啄木 「ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山はあり
がたきかな」
室生犀星 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
【福島原発事故損害賠償訴訟】
2011年3月の福島原発事故によって、大量の放射性物質が飛散し、深刻な環境汚染が生じた。十数万人もの人達が避難を余儀なくされた。史上最大最悪の公害事件である。
「ふるさと」を奪われた被害者は、被害回復と損害賠償を求めて民事訴訟を闘い続けている。「福島原発事故賠償訴訟」である。全国各地の裁判所に30余の集団訴訟が係属してきた。最高裁判所には4件の訴訟が係属中で、内1件については今年夏頃にも最高裁の初判断が示される見込みだ。
これらの集団訴訟では「ふるさと」喪失・剥奪損害が重要な損害項目として賠償請求されている。
【「ふるさと」の剥奪】
被告の東京電力からは、「『故郷』はそのようなものに対する地域住民の心情的なものであり、何人も心の中で思い続ける大切で懐かしいいわば心の中の故郷であるという趣旨なのかもしれない。これは、昔にこの地域で生活してきた様々な思い出を集めたようなものということかもしれない。」などと主張する元最高裁判事の意見書が提出されている。
しかし、被害の実相を直視するならば、単に昔過ごした懐かしい場所という意味での「ふるさと」にとどまらず、人々が日常生活を送り生業を営んでいた場としての地域が回復困難な被害を受けたことが明らかになるはずだ。
そこで取り結ばれていた社会関係や、それを通じて人々が営々と築き上げてきた活動の成果が丸ごと奪われたのである。
【Yさんの被害】
Yさんは、大学卒業後に工業用ロボット製作会社に勤務していたが、やがて福島県川俣町の山木屋の実家に戻り、牧場経営に携わるようになった。
酪農を始めたきっかけは、この世の中で一番大事な「命」を育むために完全食品である牛乳を作ろうと思い立ったからだ。本物の牛乳を作るためにスイスに行って「山地酪農」の実習も受けたりして、自然豊かな山木屋で土作りから始めた。土の栄養で育った草を牛が食べて牛乳を出し、そして排泄して、排泄物を完熟させて土に戻し、土の栄養とする。
Yさんは、こうして30年間にわたり、循環型牧畜業に精魂を傾けてきた。Yさんにとっては、土イコール作物であり、土こそ命であった。
ところが、命にも匹敵する大切な土が放射能に汚染されてしまった。
Yさんは裁判所の原告本人尋問において、以下のように述べている。
問「牧場の土地は、除染作業はしなかったんですね。」
答「とんでもないです。私、人生をかけて、本当に土を作るのには一番の苦労をしてきたつもりなんです。それで、例えば除染したら、表士を剥いでしまったら砂地ですから、下流域に土砂が流れて、また大変なことが起こるわけです。そういうこと、地域に迷惑もかけるし、だから、あのまま山林になるまで見守っていくのが私の責務かなと思っています。」
問 「そうすると、今は全く誰も管理してない状況にあるということですか。」
答「はい。自然が管理していると思うんですが。自然の状態に戻していきたいと思うんです。」
問「そうすると、将来、この土地はどういうふうになるんでしょうか。」
答 「私は、あそこで、すごく莫大な金を投じ、国が金をかけて草地の基盤を作って、私はそこの土を作ってきたつもりでいますから。将来、300年も経てばセシウムは1000分の1になるわけですから、300年以上経った時点で、山地酪農という考えが息づいていて、あそこに注目してくれる人がいたら、あそこでまた牧場なり、そういうものを再開してくれればいいと思っています。そのために、私はあそこの土を汚さない、水を汚さない、そうして守ってきた士地ですから。誰かがあそこを使ってくれれば、私と同じような考えの人が使ってくれれば、いいと思っています。」
問「そうすると、この土地は自然の原野に戻っていくということになるんでしょうか。」
答「そうです。元々私は自然の原野からお借りして管理してきたつもりしていますから、そう勝手にはできないですよね。だから、元に戻すということです。」
Yさんは佐渡に避難したまま、もはや自分の「ふるさと」に戻ることはない。セシウムが1000分の1になるまで将来300年も待たなければならないのだ。
【「ふるさと」を奪い去った原発事故】
「ふるさと喪失・剥奪被害」とは何かが、全国各地の裁判所に問われている。
「ふるさと」とは一体何か。
「ふるさと」を奪い去った「原発事故」とは一体何か。
この問題は、本件事故から10年が経過した現在、全ての人に問われている。