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「証拠がない」を逆転させたカランの法術 弁護士白井劍

「証拠がない」を逆転させたカランの法術    弁護士白井劍

 

〈証拠がない〉

法律相談に「難しいですね」と答えざるをえないことがある。「証拠がない」ケースもそういう場合である。相談者の話は筋が通っている。気の毒な事案だし、なんとかしてあげられないかと思う。でも肝心なところの証拠が欠けている。そういう場合の多くは、弁護士もお手上げである。

もっとも、裁判は一種の生き物である。裁判をたたかっているうちに証拠が見つかることもある。関係者のひとりがたまたま証拠をもっていたなどということもある。でも、それは僥倖に恵まれたケースである。一般論としていうかぎり、「証拠がない」ケースが無理筋であることに変わりはない。

 

〈新潟水俣病訴訟判決〉

公害訴訟では「証拠の偏在」という問題がある。証拠資料の圧倒的大部分は加害企業や国の手許にあり、被害者たちには手が届かない。被害を受ける者は常に社会的弱者であるという社会構造からくる「偏在」である。衡平の見地にたって立証の負担を転換した裁判例もある。とくに有名なのは、新潟水俣病に関する昭和46年9月29日新潟地裁判決である。「汚染源の追求がいわば企業の門前にまで到達した場合(中略)、むしろ企業側において、自己の工場が汚染源になり得ない所以を証明しない限り、その存在を事実上推認され、その結果すべての法的因果関係が立証されたものと解すべきである」。判決はそのように述べている。

 

〈穂積陳重の「法窓夜話」〉

「証拠がない」が社会的弱者を泣かせてきたのは古今東西変わらないようである。穂積陳重(ほづみのぶしげ)が法窓夜話(ほうそうやわ)で書いた「カランの法術」は英国の優れた弁護士であるカランが「証拠がない」を逆転させる話である。

穂積陳重は民法学者である。梅謙次郎富井政章とともに民法典の起草にあたった。陳重たちが起草した民法は幾多の大改正を経たとはいえ、いまも生きている民法典である。陳重は英吉利法律学校(中央大学の前身)の創立者の一人でもある。陳重の妻・歌子は、2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一の長女である。

その陳重が執筆した法学エッセイが「法窓夜話」である。子どものころに父親が夜な夜な語って聞かせてくれたという体裁をとって100の随筆をのせている。「カランの法術」はその第34話である。以下のとおりの話である。

 

〈カランの法術〉

英国の一農夫が宿屋に泊った。泊まるとき宿屋の亭主に百ポンドの現金を預け、翌朝出発のとき、これを受け取ろうとした。ところが、亭主は、「お預かりしてはおりません」と空とぼける。農夫は激怒して懸け合った。しかし、預けた際は証人がいなかった。証拠がない以上、如何ともしようがない。かれは弱り果てて、弁護士であるカランの許を訪れて依頼した。

カランは、しばらく思案した末に、預けた百ポンドとは別に、さらに百ポンドを都合して、宿屋の亭主に預けるように助言した。農夫は仰天した。「とんでもないことです。ああいう悪党には、もう1ペニーだって渡せませんよ」。でも、結局はカランに説得されて、農夫はしぶしぶ百ポンドを持って、ふたたび例の宿屋に赴いた。ただし、カランの指示に従って、証人になってもらうために友人をひとり同道した。かれはその友人の前で百ポンドを宿屋の主人に預けた。

農夫はカランの許に戻ってきた。「盗人に追い銭とはこのことだ」とふさぎこんでしまった。カランは新たな助言をした。「宿屋の亭主が独りでいるところを狙って、こちらも独りで行って、『先ほどの百ポンドを返せ』と言ってください」と。農夫は助言どおり宿屋に行き、百ポンドの返還を求めた。2度目の百ポンドには証人もいるので拒んでもしかたがないと思ったらしい。亭主は素直に百ポンドを返還した。農夫はカランに、「これでは元の黙阿弥です。何にもなりません」と言った。

カランは、「計略が図にあたりました」と笑った。そして、「友人を同道して宿屋に押しかけ、『預けておいた百ポンドのお金を、さあ、たった今受け取ろう』と談判に及ぶときです。それでも亭主が百ポンドを返還しなければ、そのときこそは、友人を証人として訴え出ましょう」と述べた。農夫は、ようやくカランの計略に気づき、小おどりして出て行った。

 

〈法学法術兼ね備える者〉

私はこの話を学生のときに読んだ。そのときは面白いと思っただけだった。でも、弁護士になってからは、単なる面白い話ではなくなった。というのも、この話の最後がこう結ばれているからだ。

「法学法術兼ね備わる者でなくては、法律家たる資格がない。カランが、無証事件を変じて有証事件となし、法網をくぐろうとした横着者を法網に引き入れた手際は、実に法律界の張子房ともいうべきではないか」(註:「張子房」は漢の劉邦に仕えた軍師。知略に長けた人物として知られる)

法律知識だけでは意味がない。正しいことを正しいと主張するだけではだめだ。巧みな戦術が必要だと陳重は言うのである。それをかれは「法術」と呼んだ。法術を兼ね備えるのでなければ「法律家たる資格がない」とは、手厳しい指摘である。実務家である以上は、胸に刻まなければならないと思うのである。(以上)