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お前らはえらい  弁護士白井劍

「お前らはえらい」                     弁護士 白井劍

〈100キロの道のりを歩く〉

高校生のとき数名の同級生と100キロの道のりを歩いたことがある。2年生の夏休みだった。京都の山深い地点から大阪の十三まで20余時間かかった。

へそ曲がりの反発心から始まったことだった。わたしが通った高校では自治会主催の100キロ徒歩が年中行事になっていた。どんなにおもしろい企画でも年中行事になったとたんにつまらなくなる。「学校行事でなく自治会行事だ。先輩たちが学校を説得してかちとった成果だ」と言われても、やっぱりつまらないことに変わりはない。企画し準備する側に回れば話は別だが、ただ参加するだけの身にとっては、定められたルートを管理されて歩くだけのことだ。

愚痴ってないで、年中行事とは異なるルートを自分たちだけで歩こうじゃないか。そう言い出した者がいた。それで京都から十三まで一昼夜かけて歩くことになった。地図上ではなんどもルートを辿り100キロを超えることを確認した。でも、参加者のだれも歩いたことのない道のりだった。ワクワク感は半端じゃなかった。

 

〈公園で迎えた朝〉

夜は寝屋川市内の小さな公園で寝た。寝袋とかテントとか、そういう高級な備品はなにもない。着の身着のまま寝るだけだ。ベンチで寝た者もいれば、滑り台に横たわった者もいた。わたしはといえば、目覚めたときにはブランコからずり落ちて、地面に寝そべっていた。起き上がって寝ぼけ眼で見ると、見知らぬ男性が立って、同級生たちと話していた。

「お前ら。なんで、公園で寝とるんじゃ」。男性はそう言った。風変わりな服装だった。派手なアロハシャツにバミューダ。あたかも松竹映画の寅さんみたいな雰囲気をもっていた。顔は丸いし、髭もはやしていて、大阪弁をしゃべっている。でも、遊び人風の、気安く声をかけてくる雰囲気は寅さんそのものだった。

同級生たちは、京都から歩いてきたこと、公園で野宿したこと、100キロを歩きとおすことだけが目的であることを丁寧に説明していた。男性は真剣な表情で同級生たちの説明を聴いている。

かれは、唐突に叫んだ。

「お前らは、えらい」。

そして、その場から立ち去った。うしろ姿を目で追うと、かれは近くに止めてあった車に首をつっこんでまた戻ってきた。若い女性がついてきた。女性が財布を差し出した。かれは財布から千円札を2枚取り出し同級生に手渡して言った。「これでジュースでも買って飲め」と。

かれは訓示を垂れた。「ええか、君たち。この経験は、きっと人生に役立つはずや。人生は苦労の連続や。さまざまな困難にぶつかるぞ。そのときに、今日のことを思い出せ。一生懸命に生きていれば、かならず目的を達する。そう信じて頑張りなさい」。そう言って、ふたたび去った。

今度は戻ってこなかった。同級生たちもわたしも暫く、ただぽかんとしていた。狐につままれたような気分だった。かれにとってわたしたちは、ただの通りすがりだ。何の関係もない。それなのに「お前らは、えらい」と励ましてくれた。しかも身銭まで切って。無私の思いに発した励ましだった。なんだか少し心が温まった。気持ちが前を向いた。

 

〈大人になってから〉

いうまでもなく、人生は、高校生が100キロを歩くような単純な話ではない。そんなものとは比較にならない、ほんとうの苦難が待ち受けている。

裁判だってそうだ。どんな裁判も、その道のりはけっして平坦ではない。いくら努力を尽くしてもうまくかないこともある。幸い、よい結果となった裁判でも、その過程ではたびたび窮地に陥る。国とドイツ企業を相手にした薬害ヤコブ病事件でも、控訴審判決が180余名の教職員の懲戒処分をすべて取り消す勝訴だった東京「君が代」裁判第1次訴訟でも、石川順子弁護士とたったふたりの弁護団で金融庁の課徴金処分を取り消す勝利判決をこの国で初めて勝ち取った事件でも、やはり石川弁護士とふたりで脳神経外科死亡事故の執刀医の嘘の弁解を完全に覆して過誤の責任を認めさせた医療事件でも、薬の取り違いの事故隠しを裁いた広尾病院事件でも、都市公団と最高裁まで争って勝ち抜いた公団建て替え分譲事件でも、岡村実弁護士を中心に東京高裁で逆転無罪をかちとった公務執行妨害の刑事事件でも、途中はなんども窮地に立った。どの事件でも一度は絶望の淵で負けを覚悟した。

そういう困難は、けっして生易しいものではない。高校生の100キロ徒歩とは次元の異なる、比べものにならない困難さである。アロハシャツの男性が垂れた訓示は、的外れだったということだろうか。

しかし、追い詰められて絶望したとき、わたしの前に寝屋川の公園の風景が立ち現れることがある。未明と夜明けの間の薄明りに滑り台やジャングルジムがぼんやりと浮き上がる。ぼそぼそと話し声が聞こえてくる。さあ、起き上がって歩こう。でも、固い地面に寝ていたので体じゅうが痛い。疲労がからだの芯にこびりついている。靴が合わないのか小指がずきずき痛い。ゴールまでたどり着けるやろか。俺だけ脱落するんとちゃうやろか。不安がよぎる。心細くてならない。なんでこんなアホなことを俺はしてるんやろ。不安に後悔が混じる。唐突に声があがる。「お前らは、えらい」。野太い叫び声だ。その記憶が今もわたしのなかに息づいている。その記憶にふれると心が落ち着きをとりもどす。腰を落として、もう少しがんばろうと思う。

励ましてくれたその人は、60余年のわたしの人生で、たった一度すれちがっただけの人だ。たった一度のその邂逅が、今もわたしに影響を与えている。人との出会いの不思議さを、わたしは思うのである。

(以上)