対立と憎悪の拡散 弁護士白井劍
〈SNSが拡散する誤情報〉
大晦日の朝に届いた新聞の第1面大見出しは「拡散されやすくなった有害投稿」だった(2021年12月31日付朝日新聞)。「SNS世界最大手の米フェイスブック(FB、現メタ)が2018年、表示する投稿の順番を決める社内のルールとなる『アルゴリズム』(計算手順)を変えたところ、誤情報など有害な投稿が拡散されやすくなっていたことが、朝日新聞が入手した同社の内部文書でわかった」と報じられた。記事によれば、フェイスブック社の2019年4月の内部文書は「欧州中の政党が、FBのアルゴリズムの変更は政治の性質を悪い方に変えたと訴えている」「シェアのされやすさを強調したことで、挑発的で質の低い投稿が優先されている」と指摘した。元従業員の内部告発者は、アルゴリズム変更の狙いについて「利用者をFB上にとどまらせることに最適化していた。実際の目標は、多くのコンテンツの生産ができるかどうかだった」と報道陣に述べた。
現代人はWEB上の便利な道具を手に入れた。しかし、この便利な道具は誤情報の拡散という危険を伴う。しかも、SNS企業の利潤追求が誤情報の拡散に拍車をかける。問題は、それによって対立と憎悪が拡散されることだ。そのことが深刻な人権侵害を生む。
〈関東大震災直後の虐殺〉
誤情報の拡散が生んだ、わが国最悪の惨事は、1923年9月関東大震災直後におきた虐殺事件である。震災直後に朝鮮半島出身者に関するデマが広まり、対立と憎悪が拡散されていった。もちろん当時インターネット通信はなかったけれど、警察と軍隊が関わってデマは急速に拡大されていった。そのことは今では資料的に明らかにされている。
しかし、わたしたちを慄然とさせるのは、市井のごくふつうの人びとが直接に虐殺をおこなったという事実である。高等学校の歴史教科書には、「関東大震災後におきた朝鮮人・中国人に対する殺傷事件は、自然災害が人為的な殺傷行為を大規模に誘発した例として日本の災害史上、他に類をみないものであった」(山川出版「詳説日本史B」)とある。岩波新書「シリーズ日本近現代史④『大正デモクラシー』(成田龍一)」も、「東京の住民たちはデマを疑わず、地域ごとに自警団を結成し、親族や知人の安否を尋ねて行き交う人びとを詰問し、朝鮮人とみなすや、持っていた竹槍や鳶口により虐殺した。のちに吉野作造や金承学が調査を行い、正確な数は不明ながら、虐殺された朝鮮人は6000人を超えると推定されている」と述べている。
〈許されないヘイトクライム〉
けっして昔ばなしではない。現在でも対立と憎悪が拡散されている。人権侵害も起きつづけている。わたしの知り合いの在日コリアンも被害にあった。彼女は「東京『君が代』裁判」第1次訴訟で陳述書を作成してくれた都立高校卒業生のひとりだった。友人7名とともにチマチョゴリを着て往来を歩いているとき、向うから自転車でやってきた見知らぬ男性が立ちはだかってピストルを構えた。男性は「お前ら、帰れ」と怒鳴った。たまたま彼女が8人の先頭を歩いていたので拳銃を間近で見ることになった。銃口の丸い穴が真正面から見えた。殺されると思い、死を覚悟したと彼女はわたしに語った。友人のなかにはその場で泣き崩れる人もいた。
新聞情報だが、昨年7月には名古屋市の韓国民団愛知県本部の敷地内建物が放火され、8月には在日コリアンらが暮らす京都府宇治市のウトロ地区で放火があり、12月には大阪府東大阪市の韓国民団牧岡支部で出入り口ガラスが何者かによって割られた。このような卑劣な犯罪は許されるべくもない。被害者側を非難し、犯行を肯定する声がネット上で飛び交っている現状も憂慮すべきことだ。対立と憎悪が拡散されている。
どうすれば対立と憎悪の拡散を止められるのか。わたしに名案はない。でも、人が始めたことなのだから止める方法はあるはずだ。そう信じたい。キーワードのひとつは「多様性の尊重」である。(以上)