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「ノーモア・スモンの歌」と薬害・公害 弁護士鈴木堯博

「ノーモア・スモンの歌」と薬害・公害

鈴木堯博

 

「ノーモア・スモンの歌」

1 道ばたの小さな花でも生きている
  土に住む 小さな虫でも 生きている
  そんな姿に 生きる力を とり戻したけれど
 ※こんな苦しみは 二度と この世におこしてはならない
  こんな苦しみは もう 私達だけでいい

2 犯されたこの身の 目となり足となり
  長い日々 励まし つくしてくれた人
  そんな姿に 生きる力を とり戻したけれど
 (※くりかえし)

3 ビラを持つこの手を にぎりしめてくれた
  街をゆく人達の さりげない優しさ
  そんな姿に 生きる力を とり戻したけれど
 (※くりかえし)

4 この国に 二度(ふたたび) 薬害起こすなと
  共にたち上がった たくさんの人達
  そんな姿に 生きる力を とり戻したけれど
 (※くりかえし)
 (※くりかえし)

「ノーモア・スモンの歌」との出会い

 この「ノーモア・スモンの歌」は、シンガーソングライターの横井久美子さんが1978年に作詞作曲したものだ。
 当時、当事務所の創設者メンバーらは、薬害スモン訴訟の闘いに全力を挙げて取り組んでいた。
 私もその一人だったが、「ノーモア・スモンの歌」の歌詞の完成を前にした横井久美子さんから、この「歌詞」の内容について意見を求められたことがあった。
 横井久美子さんの手書きで書かれた歌詞の内容に私は目を見張った。「こんな苦しみは 二度と この世におこしてはならない こんな苦しみは もう 私達だけでいい」という歌詞のリフレーン部分こそ、自分の萎えた身体が治らなくても他の人には同じような苦しみを絶対に味合わせたくないというスモン患者の普遍的な心情が良く表現されていると思った。

薬害・公害との闘い

 スモンは1960年頃から全国的に多発し、患者は1万人を超えた。製薬企業が当時の高度経済成長の波に乗り、安全性を無視したまま整腸剤キノホルムの大量生産・大量販売をしたが、その結果が、恐るべき薬害スモンの多発だった。
 スモン訴訟の闘いが勝利した結果、キノホルム剤の製造販売が中止され、国会では薬事法の改正もなされた。
 しかし、その後もヤコブ、イレッサ等々の薬害訴訟が行われた。公害訴訟も水俣病訴訟、福島原発事故賠償訴訟、等々が現に行われつつある。
 当事務所のメンバーも弁護団に参加して、薬害・公害訴訟に取り組んでいる。
 福島原発事故賠償訴訟は、東京電力を被告にした訴訟の最高裁決定が本年3月に出されて東京電力の加害責任がすでに確定した。国を被告にした訴訟については最高裁判決が近いうちに出る見通しだ。甚大な被害をもたらした原発事故発生から11年にして、福島原発事故賠償訴訟はいよいよ正念場を迎える。

被害者の要求実現をめざして

 薬害・公害被害者の要求に共通しているのは、「償え、謝れ、なくせ薬害・公害」である。この被害者の要求を実現するのは決して容易なことではない。
 訴訟に勝利し、加害者に責任を認めさせて謝罪させ、二度と被害を発生させないような仕組みを一歩一歩と積み上げていくことが必要だ。
 そのためには多くの人々の支援と国民的な支援運動が前提となる。
 横井久美子さんは「ノーモアスモンの歌」をスモンの運動の中に持ち込んで、スモン被害者の願いを実現することに大きく貢献した。
 横井久美子さんは次の文章を書き残している。
 「キノホルムの副作用で足を奪われ目を奪われ、激しい痛みに悩まされ続けていた薬害被害者一人一人が手を結び合って、国と製薬企業を相手にして、この史上最大といわれる“薬害”の責任を明らかにした歴史的な大事業に、一人の音楽家として参加できたことを私は感謝している。このスモン運動のなかで、私は何度も、歌に命が灯る瞬間を見た。歌が祈りにも、救いにも、力にもなったその瞬間を。」
 横井久美子さんは、2020年7月に歌手デビュー50周年記念コンサートを開催して多数の聴衆に深い感銘を与えたが、翌2021年1月に病に倒れて不帰の人となった。
 しかし、「ノーモアスモンの歌」は、薬害・公害を二度と発生させてはならないと希う人々の心の中に生き続けている。