ブログ一覧

「コロナ時短命令違法判決」の報道を見て 弁護士白井劍

「コロナ時短命令違法判決」の報道を見て 弁護士白井劍

 

〈時短命令を違法と判断して話題になった判決〉

東京都の時短命令を違法と断じた判決が話題になった。東京地裁(松田典浩裁判長)が2022年5月16日に出した判決である。ネットニュースでただちに報じられ、テレビ、ラジオ、新聞各紙も取り上げた。各紙の社説でも論じられた。違法とされた東京都の時短命令は、コロナ特措法に基づき2021年3月18日に飲食店に対して発出された。これが先駆けとなって、その後は全国各地で同様の命令が出された。判決は東京都だけでなく各道府県にも衝撃をもって受けとめられた。判決文は入手できていない。マスコミ報道等をもとに、この判決を考えてみたい。

 

〈コロナ特措法に基づく時短命令〉

コロナ特措法の正式名称は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(2012年5月11日公布。直近の改正は2021年2月3日成立・即日公布)である。この法律に基づき東京都が2021年3月18日に飲食店27店舗に営業時間の短縮命令を発出した。3日後の21日には緊急事態宣言が解除された。わずか4日間のための命令だった。都内の感染者数(週平均)は1月11日の1861人をピークに減り、命令発出の3月18日は297人だった。入院患者数も約3000人から1200人余りまで減った。時短命令を受けたのは時短要請を拒否した多数の店舗のうちの27店。うち26店が同一チェーン店だった。そのチェーン店が都に損害賠償を求めた訴訟だった。

 

〈命令発出は「特に必要があると認めるとき」に限る〉

東京地裁判決は、コロナ特措法が「特に必要があると認めるときに限り」と定めていることを重視し、対象各店舗で換気などの感染防止対策が実施されている実態からすれば、とくにクラスターの発生リスクを高めたとはいえないとしたうえ、「4日間しか効力がない命令をあえて出したことの必要性についての合理的な説明がされていない」と指摘した。

コロナ特措法は、「国民の生命及び健康を保護し、並びに国民生活及び国民経済の混乱を回避するため特に必要があると認めるときに限り」命令を発出する権限を都道府県知事に付与している(45条3項)。判決は、この「特に必要があると認めるときに限り」をクローズアップして、行政の広範な裁量に縛りをかけた。

 

〈時短は最も重要な感染防止対策〉

判決は時短命令を一律に否定したのではない。飲食店の営業時間短縮が最も重要な感染防止対策の1つであると正当に評価している。あくまでも個別事情に鑑みて違法と判断した。ことは生命・健康にかかわる。営業の自由と衝突する場面では生命・健康が優先されねばならない。営業の自由を優先してしまえば健康被害の危険に人々をさらすことになる。当たり前といえば当たり前のこととはいえ、この点の認識がずれると話がゆがんでしまう。営業の自由を侵害するから許されないと短絡的にいえる話ではない。

 

〈法律が内包する欠陥ともいうべき問題〉

しかし、生命・健康の保護が目的であれば行政にフリーハンドを与えてもよいとはいえない。今回の問題の根源は、コロナ特措法に基づく規制権限の要件が不明確で、あまりにも広範な裁量が行政に与えられていることにある。緊急事態宣言下では、一般市民に、「居宅等からの外出制限」を始めとする「感染の防止に必要な協力」を「要請」できるという建付けになっている(同法45条1項)。行政に従わない者に対するバッシングや同調圧力を考えれば、わが国では「要請」は強制に近い。市民の自由と権利の幅広い制限をもたらすことを可能にする法律である。2012年に法案が可決成立したときからそういう批判があった。法律そのものが内包する欠陥ともいうべき問題なのである。

 

〈行政の裁量に縛りをかけた判決〉

コロナ特措法5条は、「制限は当該インフルエンザ等対策を実施するため必要最小限のものでなければならない」と定め、45条3項が「特に必要があると認めるときに限り」と命令発出を限定している。歯止めはこれだけである。歯止めと呼ぶには、あまりにも抽象的である。だからこそ、今回の判決が、「特に必要があると認めるときに限り」をクローズアップして、行政の広範な裁量に縛りをかけたことには重要な意義がある。

 

〈自由と権利の制約に寛容でありすぎはしまいか〉

そもそも、感染対策は、行政施策全体として推進すべきものである。PCR検査体制、病院施設や人員の拡充など、早期に行政がおこなうべきことの多くが後手に回ってしまった。保健所を減らしその人員を減らしてきた長年の政策がコロナ感染を拡大させた面もある。営業活動に対する制限は「命令」ではなく充分な「補償」をもって進めることが本筋である。幾多の政策上の不備を棚にあげて命令に頼るのは本末転倒であろう。

わたしたちは、パンデミックの脅威の前で、自由と権利に制限がかけられることに寛容になりがちである。欧米各国の市民の人権意識と比較して、わたしたちは政府や行政権力に対して物分かりがよすぎるように見える。「パンデミックだから仕方がない」といって自由と権利が規制される事態に慣れっこになってしまえば、やがて気が付いたときには、大切な自由と権利を行政に明け渡してしまっているということにもなりかねない。今回の判決は、その注意喚起のための一石を投じたと言っても過言ではあるまい。(以上)