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滝桜から勇気をもらって 弁護士白井劍

滝桜から勇気をもらって 弁護士白井劍

 

〈サイサイネンネン人同じからず〉

年年歳歳(ねんねんさいさい)花相似たり(はなあいにたり)

歳歳年年(さいさいねんねん)人同じからず(ひとおなじからず)

唐の詩人劉希夷(りゅうきい)の「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代りて)という長い詩の一節である。花は毎年同じように咲くのに、花を見る人は毎年同じではない。自然は変わりなく毎年美しくくり返されるのに、人命には限りがある。人生は移ろいやすくはかないと嘆息する詩である。なお、唐詩の場合、花といえば文字どおり百花繚乱。とりわけ桃李(桃やすもも)を指すことが多い。

「年年歳歳花相似/歳歳年年人不同」というこのフレーズは、劉希夷のみならず宋之問(そうしもん)の詩の一節としても伝えられている。劉希夷と宋之問は同じこのフレーズを使った。詩全体も似ている。奇怪な伝承がある。それによれば、劉希夷がこの詩を作ったとき、宋之問は「年年歳歳花相似/歳歳年年人不同」の二句をたいそう気に入り、ぜひ譲ってほしいと言った。劉希夷はいったん承諾したものの、のちに承諾を撤回した。宋之問は激怒し人を使って劉希夷を暗殺した、というのである。本当ならば、宋之問は劉希夷を殺して奪った詩を自作として発表したことになる。真偽はともあれ、変わらぬ花の美しさと人の世の移ろいやすさの対比を「うまく表現したい」という思いの凄まじさが凝縮されたエピソードである。

 

〈浪江町津島地区に咲く桜〉

わが国では花といえば桜である。美しく咲く桜を見上げると切ないほどの感動に襲われる。街なかで見るときも感動はある。でも、福島原発事故のために変わり果てた地で桜を見るとき切なさはいっそう深まる。そういう地のひとつに福島県浪江町津島地区がある。原発事故から11年余も経つのに人が住めない。もと住民の約半数が津島地区の原状回復を求めて訴訟をたたかっている。わたしは弁護団の一員である。頻繁に津島地区に立ち入りをしてきた。

今も高線量が測定される。家屋の多くは荒廃した。屋内はカビに覆われネズミの糞と死骸が散在し、イノシシやサルやカモシカなど野生動物が出入りする。田は柳の木が生い茂り畑や牧草地も荒れ野となった。それでも、春になればかならず桜が咲く。その美しさは原発事故前と変わらない。自然は毎年くり返される。年年歳歳花相似たり、である。ところが、人の社会は原発事故のせいで壊滅した。人影もなく荒廃してしまった。まさに歳歳年年人同じからず、である。津島地区で桜を見るたびに私は、みごとに咲く花の美しさに胸をつかれる思いがする。

 

〈滝桜から勇気をもらって〉

原発事故以前、津島地区内のあちこちに桜を植えて回った人が原告団にいる。彼は、福島県田村郡三春町の友人から「滝桜」の苗木を育てた桜の、そのまた苗木をもらってきて植えつづけた。本来、「滝桜」は三春町にある推定樹齢1000年の枝垂れ桜である。日本五大桜のひとつに挙げられ、「三春滝桜」として全国的にも有名である。その「滝桜」の苗木の、そのまた苗木が彼のおかげで津島地区全域に広がった。「津島に植えた滝桜は、今も、育ての親である私や津島の仲間たちの帰りをじっと待ち受けるかのように、春になると毎年綺麗に咲いています」と彼は法廷で語った。「津島は私が生まれ育った土地です。私が苦労して土地を耕し酪農をして生活した土地です。私が大切に滝桜の苗木を育て、植えた土地です。私の歴史そのものが詰まった場所なのです。放射能に負けず咲いている滝桜を見ると、絶対に戻るんだといつも心に誓っています」。

津島地区の住民たちは人生のはかなさを嘆きはしない。そうではなく、津島地区をとり戻そうとたたかっている。自然の変わりない美しさから勇気をもらってたたかっているのである。(以上)