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私の脳梗塞闘病記 弁護士岡村実

私の脳梗塞闘病記                   弁護士 岡村 実

1 はじめに
去年5月24日(火)に脳梗塞を発病し同日入院し、9月1日(木)に退院しました。業務には9月5日(月)から復帰しました。その間、どのように回復したかを記載します。
2 5月24日発病時の状況
朝7時半ころ起きて、立ち上がりにくい感じや、朝食のときに右手の動かしにくい感じ、話しにくい感じがあり、妻に脳梗塞かもしれないと話しました。亡父の脳梗塞発症の時の様子を実家の家族から聞いており同じような症状だと思ったからです。
妻がすぐ救急車を呼びT大学病院に搬送されました。T大学病院ではアテローム血栓性脳梗塞・急性期と診断され9時30分頃から血栓溶解療法をうけました。治療を受けた直後は症状が改善したのですが、その後、症状が悪化し、右手・右腕が全く動かなくなりました。言語ももつれるようになりました。後に作成された診断書には当時の状況として右上肢麻痺や構音障害が目立つと記載されています。
事務所には当日、妻が連絡してくれました。
3 一般病床に移ってから
入院翌日の5月25日(水)に集中治療室から一般病床に移りました。脳の腫れがあるということで約一週間の絶対安静と絶食が必要となりました。
5月26日(木)にスマホが使えるようになり、事務所や家族、依頼者、共同受任している弁護士にLINEやメール、電話で連絡をいれました。その当時、私は担当している3件の医療過誤事件がヤマ場を迎えるなど早急に連絡する必要のあることが多数ありました。
一緒に医療過誤事件を担当しているR弁護士(女性)にも電話をいれました。後に「内容的に大体のことは分かったが、わからないことも多かった。元気にしていることは分かった」と言われました。自分で考えている以上に構音障害が顕著だったのですね。
直に連絡する中で依頼者、共同受任している弁護士、事務所の同僚弁護士、事務員の皆様から暖かい励ましの言葉をいただきました。病院での生活の大きな励みになりました。
6月5日の家族3人グループ(妻・息子・私)のLINEに右手にミギーと名付けたことが書いてあります。「右手にいろんな動きをさせて動かすようにしています。ICUを出たときピクリとも動かなかった右手・右腕がいろんな動きができるようになりました。右手の頑張りを称え、ミギーと名付けました。」
その後、家族のLINEの中でミギーはマスコット的存在になりました。当時の私の夢は右手で水を飲み、右手でスプーンを使い食事をすることでした。箸で食事をすることは遠い夢のように感じていました。病院での生活は、そのようなささやかな夢の実現の場となりました。
6月6日には点滴などすべてのチューブ類が外れました。
4 リハビリ病院への転院が決まる
6月7日に、6月16日、急性期病院であるT大学病院からTリハビリ病院に転院することが決まりました。もともとの予定は6月末ころの転院でしたが、私が日々、回復している様子、早期の仕事復帰の意欲が強い様子を見て対応を早めたとT大学病院のM先生は、言ってくださいました。リハビリ病院に1か月も入院すれば脳梗塞になったことなどわからないほど、回復しますよと言ってくださいました。リハビリの成果もあり、転院時には、日常は車いすでの移動でしたが、歩行器歩行も可能なレベルになっていました。
5 リハビリ病院への転院
6月16日に予定通りTリハビリ病院に転院しました。
妻と5月24日の入院以来久しぶりに会えました。コロナの感染対策のため面会も自由にできませんでした。毎日、LINEで連絡を取り合っていましたが直に会えると嬉しいものでした。
転院した当日にもリハビリがありました。理学療法によるリハビリの際にT先生は「それでは補助なしで歩いてみますか」といいました。私は補助なしで、約40m歩くことができ、その時、空を飛んでいるような開放感を感じました。こみ上げるものがあり、嗚咽し、涙を流しました。T先生の前でこんな些細なことでと恥ずかしい思いをしました。でも私にとって同年5月24日に脳梗塞を発病して以来、初めて、補助なしで歩けた嬉しい瞬間でした。
ところが、当日、妻から来たLINEには主治医のU先生に「3,4か月も入院すればいままで通りになっていくのではないか」と言われたたとありました。私は憤然と「U先生の見込みはともかく私は一か月後に退院できるようにリハビリに励みたいと思います。」と妻に返信しています。手続きを待ってもらっている裁判もいくつかあります。3か月、4か月も入院するのはできれば避けたいという思いでした。
それから1週間後の6月23日、U先生が病室にやってきて「1か月で介護用の箸ではなく通常の箸での食事ができるようになるでしょう。1か月で、家庭内での動きができるようになると思います。2か月で屋外の活動も安全にできるようになるでしょう。2か月を退院の目途としましょう。」と言ってくださいました。
各種検査の結果、およびリハビリの状況を見ての方針変更と思われます。妻にもLINEでそのことを知らせると、U先生の方針変更を「うれしくて泣きそうです」と大変喜んでくれました。
6 Tリハビリ病院でのリハビリについて思うこと
Tリハビリ病院では、リハビリは、理学療法、作業療法、言語療法の3種類が実施されました。理学療法としては主に下半身の運動機能(起立、歩行)の向上のため体操やマッサージ、訓練等を行いました。作業療法としては主に上半身の運動機能、作業能力(手の上げ下げ、握る、放す、食事、筆記)の向上のための体操、マッサージ、訓練を行いました。
言語療法としては言葉によるコミュニケーション能力向上のため発声練習、舌の運動、口の運動、首の運動(嚥下能力にも関連します)を行いました。
各療法の分野に私の担当者がいますが、担当者以外にも6,7人の療法士さんが私のリハビリに関与しました。チームのみなさんで活発に意見も交換されているようでした。
Tリハビリ病院の療法士さんたちの言動で感じることは、非常にフレンドリーで前向きであるということです。私はまだ軽い方でしたが極めて重い症状の方もいらっしゃいます。自暴自棄になって乱暴な言動をする患者さんもいらっしゃいます。そのような患者さんたちにもできるだけ明るい気持ちでリハビリに取り組んでもらうためにはこのような姿勢が必要なのでしょう。そのような姿勢で患者さんに接しておられる療法士の先生方に尊敬の念を覚えました。弁護士の私としても学ぶべき点が多くあると感じました。
7 9月1日 退院
9月1日に退院しました。リハビリテーション部の皆さんに退院記念の写真をとっていただきました。写真に「岡村実さん退院おめでとうございます! リハビリお疲れ様でした。岡村さんらしく元気でいてください。」とコメントがつけてあり、励まされました。退院時にこのような記念写真をとるのはリハビリテーション部の慣習なのですが、とてもいい慣習だと思います。
8 退院後の生活
9月5日から、弁護士業務に復帰しました。
無理をしないように注意しながら通常どおり業務を行っています。仕事復帰の日から2023年2月1日までにおかげさまで医療過誤事件3件、交通事故事件3件、元夫婦間の損害賠償請求事件1件を解決させていただきました。法廷での尋問も3回行いました。
退院後解決した医療過誤事件の依頼者には「入院中から、積極的に活動していただきありがとうございました。」とお礼を言っていただき、恐縮しました。
いま、日々、手足が自由に動かせるようになっていくことに喜びを感じています。現在の目標は夏までに走れるようになることです。
脳梗塞になって、依頼者、共同受任している先生、事務所員、裁判所関係者には大変な心配をおかけし、ご配慮いただきました。ありがとうございました。
脳梗塞になったことは不幸なことなのでしょうが、多くのことを学びもしました。例えば障害を持つことのつらさであり、その障害を多くの人の協力と自分の工夫・努力で克服していく喜びです。他方で努力することも困難なほどに重大な障害を持つ方を間近に見ました。そのような患者に対して少しでも症状が改善するよう忍耐強く明るく献身的に職務を遂行する医療従事者の姿も間近にみました。医療過誤事件では患者側の代理人になることの多い私ですが、そこで学んだことは事件のより良き解決のために役立つものと確信しています。それは医療過誤事件に限定されるものではないと考えています。
                                       以上