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通行中の男性に視線をむけることが犯罪になるか  弁護士岡村実

通行中の男性に視線をむけることが犯罪になるか

(売春防止法違反被疑事件を担当して)

                       弁護士 岡 村  実

 

 当番弁護士で経験した売春防止法違反事件が、勾留の在り方、国民の人権の保障の在り方の観点から重要に感じられましたので記載させていただきます。なお、被疑者の方からはブログに記載することの了解を得ていますが、不測の不利益が生ずることをさけるため日時地名建物名等は伏せています。本質的な事実関係は変えていません。

1 弁護士会刑事センターからの依頼

 ある土曜日の午後、弁護士会刑事センターから当番弁護士の依頼が来ました。

 前日、売春防止法5条3項違反により逮捕された事件でした。売春防止法5条3項には次のように記載されています。

 「防止法5条 売春をする目的で次の各号の1に該当する行為をした者は、6か月以下の懲役または1万円以下の罰金に処する。

・・・・・

3 公衆の目にふれるような方法で客待ちをし、又は、広告その他これに類似するような方法により人を売春の相手方となるように誘引すること。」

 当番弁護士を引き受けて当日夕方接見に行きました。接見した結果、売春防止法5条3項に該当するような行為をしていないとの心証を得ました。違法な捜査となる可能性も十分あり、法テラス及び被疑者国選弁護を利用する前提で弁護人選任届に署名をもらい、翌日、東京地方検察庁に提出しました。

2 勾留状記載の被疑事実

 逮捕3日目(月)に勾留決定がだされ、勾留2日目(火)に法テラスから勾留状が送信されてきました。

 勾留状記載の被疑事実を読み、私は、少し驚きました。勾留状に記載された行為が犯罪を構成するものとは考えられなかったからです。少し長くなりますが引用します。

 「被疑者は、売春をする目的で、〇年〇月〇日午後4時1分頃から同日午後4時38分ころまでの間、東京都・・(建物名)北側付近において佇んだり、さらには東京都・・・・歩道上においてガードパイプに腰掛け携帯電話機を操作しながら通行中の男性に視線を向けるなどしもって公共の目に触れるような方法で客待ちしたものである。」(下線は当ブログの文章作成にあたり引きました。)

 建物の近くで佇んだり通行中の男性に視線を向けるなどは、売春の勧誘目的でなくても行う行為であり、勾留状に被疑事実として記載するにはふさわしくない行為であると考えました。

3 勾留理由開示請求

 前記2記載のような勾留理由で勾留を認めることは、市民生活の自由を不当に侵害する可能性が高く、不適切であると考え、勾留理由開示請求を行うことにしました。

 勾留理由開示とは、勾留されている被疑者、弁護人等からの請求にもとづいて、裁判官がいかなる理由で勾留したかを公開の法廷で明らかにする制度です。

 勾留理由開示は「準抗告」や「勾留取消の申し立て」のような勾留を取り消すための制度ではありませんが次のような効果があるとされています。

① 準抗告や勾留の取消しなど被疑者の釈放に向けての準備となりえる。

② 裁判官に対して勾留の要件について再考する機会を与えて、職権による勾留取消のきっかけとなりうる。

③ 勾留延長につき検察官や裁判所の判断が慎重となることが期待できる。

 

 以上の効果を期待し、勾留5日目(金)に勾留理由開示請求書を裁判所に提出しました。

 勾留理由開示請求書に記載したことは要約するとつぎのようなものでした。

① 勾留状の被疑事実に被疑者の具体的な行動として記載されているのは約38分間、「(建物名)付近において佇んだり」「ガードパイプに腰掛け携帯電話機を操作しながら通行中の男性に視線を向ける」行為だけである。

② 上記①のような行為は、それ自体、一般市民が適法になしうる行為である。このような行為をもって売春防止法5条3項の「売春をする目的で」「公衆の目に触れるよう形で客待ちをし」の構成要件に該当すると判断することは著しく困難である。

③ 上記①のような行為をもって売春防止法5条3項の構成要件に該当するとの判断が安易に認められるときは基本的人権である身体の自由が容易に侵害されるおそれがある。

④ よって勾留理由の開示を求める。

 裁判所との日程調整の結果、勾留理由開示の裁判は勾留9日目(火)に行われることになりました。

4 求釈明書の提出

 勾留7日目(日)に、勾留理由開示の裁判にあたり具体的に明らかにすべき点を指摘する求釈明書を裁判所に提出しました。

 釈明を求めたのは下記の5点です。

① 勾留状被疑事実記載の「〇年〇月〇日午後4時1分頃から同日4時38分頃までの間・・・(建物名)北側付近において佇んだり」する行為は売春目的でなくてもなす可能性のある行為であるところ、その行為について売春をする目的でした行為と疑われると判断した根拠は何か。

② 上記「〇年〇月〇日午後4時1分頃から同日4時38分頃までの間・・・(建物名)北側付近において佇んだり」する行為は売春の客待ちでなくてもなす可能性のある行為であるところ、その行為について売春の客待ち行為と疑われると判断した根拠は何か。

③  勾留状記載の「通行中の男性に視線を向ける」行為は売春目的でなくてもなす可能性のある行為であるところ、その行為について売春をする目的でした行為と疑われると判断した根拠は何か。

④ 上記「通行中の男性に視線を向ける」行為は売春の客待ちでなくてもなす可能性のある行為であるところ、その行為について売春の客待ち行為と疑われると判断した根拠は何か。

⑤ 上記「通行中の男性に視線を向ける」行為の認定は、その視線の先が男性であるのかそれとも、他の景色ないし対象であるか判断が困難であると思われるところ、視線の先が男性であると判断した根拠はなにか。

5 不起訴及び勾留理由開示の裁判の中止

 勾留8日目(月)の午後4時頃、担当検察官から電話があり、不起訴にしたと言ってきました。裁判所からも電話があり翌日に予定されていた勾留理由開示の裁判は中止になったと連絡して来ました。勾留理由開示の裁判は、被疑者が勾留されていることが要件となっており被疑者が釈放されれば勾留理由開示の裁判は当然中止になります。

6 まとめ

 2022年版犯罪白書によると2021年に身柄事件(警察などで逮捕され身柄付きで検察に送致された事件と検察で逮捕された事件)となった9万2633人のうち、8万7380人が検察官によって勾留請求されており、勾留請求率は94.3%になります。

 同じく2022年版犯罪白書によれば、勾留請求された8万7380人のうち8万3815人について裁判所において勾留が認められています。請求認容率は95.9%になります。これだけ勾留請求率、請求認容率が高いと、安易な勾留請求、請求認容がなされるおそれがあります。

 逮捕により認められる身柄拘束は3日間ですが、勾留が認められれば10日間、延長された場合には20日間の身柄拘束が認められます。不適切な勾留請求を行わないことは検察官の重要な職務であり、不適切な勾留請求を却下することは裁判官の重要な職務です。

 本件の勾留請求及び勾留許可決定は、人身の自由を奪う勾留手続きについて担当検察官、担当裁判官がその重要な職務を果たさなかった事案だと考えます。

 そのような事案において勾留理由開示請求が効を奏した例であると自分では評価しています。

以上