この世界は1ダフル「無実の罪から大逆転裁判」を視聴して 弁護士 岡村 実
1 番組の紹介
当事務所の白井劍弁護士、石川順子弁護士、私が25年前に担当した冤罪事件を、10月17日20時から放送のフジテレビ「この世界は1ダフル」という番組で取り扱っていただきました。その番組は5つの分野の話題が扱われており、私たちの事件は「無実の罪から大逆転裁判」と名付けられた再現ドラマとなりました。この冤罪事件の詳細については2022年11月30日から同年12月21日にかけて白井劍弁護士が5回にわたってブログ「逆転無罪」で記載しました。その迫力のある記載がフジテレビ担当者の目にとまり、今回の「無実の罪から大逆転裁判」と名付けられた再現ドラマが作成されました。
2 忍成修吾さん、長谷川朝晴さんと再現ドラマ
再現ドラマの中で、私の役は忍成修吾さんが、白井劍弁護士の役は長谷川朝晴さんが演じられました。
この番組は、再現ドラマの配役が豪華であることがセールスポイントの一つになっています。忍成修吾さんは、大河ドラマでは、「西郷どん」の井上馨、「晴天を衝け」の岩崎弥之助、「どうする家康」の大谷吉継などの重要な役を演じておられます。
長谷川朝晴さんも、大河ドラマで「義経」の鷲尾義久、「龍馬伝」の松平容保、「真田丸」の伊達政宗など重要な役を演じておられます。
再現ドラマは、一審で有罪判決を受けた被告の弁護人である私が、白井劍弁護士に励まされ、白井劍弁護士が声をかけて集結した弁護士と総勢9人の弁護団を結成し、控訴審で無罪を勝ち取るという内容でした。
忍成修吾さん、長谷川朝晴さんをはじめとする実力ある役者によって演じられる再現ドラマは大変見ごたえありました。
私と白井劍弁護士の中華屋でのやりとり、弁護団の結成のシーン、事件現場での照度実験のシーン、山本孝弁護士が決定的な証拠となる5月7日付の高速道路の領収書を発見するシーンなどは25年前を思い出し、懐かしく楽しく拝見しました。忍成修吾さん演じる私が、法廷で真犯人に決定的な証拠である5月7日付の領収書をつきつけ説明を求めるクライマックスのシーンでは頑張れと声をかけたくなりました。
3 劇団ひとりさんの発言
再現ドラマが終わり、ゲストの劇団ひとりさんが「あまたある事件のなかで、取るに足りない事件で、普通なら流される。それに領収書が見つからなかったら多分冤罪のまま」と発言されました。
「取るに足りない事件」の言葉に多少、引っかかりましたが、これは、取るに足りない事件であっても、冤罪となれば、流されることなく、徹底的に無罪立証のために奮闘した弁護団への称賛の言葉と理解しました。
「領収書が見つからなかったら多分、冤罪のまま」という言葉も複雑な思いで聞きました。私の理解では弁護団は、指紋に関する立証、アリバイに関する立証、照度実験による目撃証言の信用性に対する弾劾、高速道路の領収書以外の車内の遺留品等により80パーセント被告人の無罪立証ができていたと思います。高速道路の領収書だけが重要だと理解されているのだとしたら残念に思います。しかし、有罪率99,9パーセントの刑事裁判の現状においては、80%程度の無罪立証では足りず、有罪判決が出される可能性があります。その意味で劇団ひとりさんのご指摘は正しいのかもしれません。理不尽とは思いますが無罪判決を求めるのであれば100パーセントにちかい無罪立証を求められるのが刑事裁判の現状です。今回の事件では高速道路の領収書の発見により、100%の無罪立証ができ、無罪判決が勝ち取れたのだと考えます。
ちなみに、放送前に「今度、こんな放送がありますよ」と山本孝弁護士にお伝えしたところ、山本孝弁護士より返事のメールがきて高速道路の領収書発見の際の状況を以下のとおり説明していただきました。
「後部座席のたたまれたひじ掛けを倒すと靴下がでてきた。靴下の中を調べると高速のレシートがあった。」
なかなか、靴下の中まで調べる人は少ないと思います。山本孝弁護士が丁寧でち密な仕事をする人で本当によかった、弁護団にいてくれて本当によかったと改めて思いました。
4 今村核弁護士についておもうこと
今回の再現ドラマに鑑定のスペシャリストとして登場する今村核弁護士は生前14件の無罪判決を勝ち取っています。本件でも今村核弁護士の参加なくして無罪判決を得ることはなかったと思います。
有罪率99.9%の刑事裁判の現状をかんがえれば、勝てる見込みもすくなく、通常の何倍もの労力を必要とし、報酬も少ない冤罪事件で14件もの無罪判決を勝ち取ることは命を削るようなことだったと思います。今村核弁護士は2022年8月に亡くなり、享年59才でした。まだまだ若い死であり残念でなりません。今村核弁護士が勝ち取った14件の無罪判決とその裁判に関する資料、書籍は、無罪を争う被告、弁護士にとって貴重な道標になることと思います。
5 袴田事件について
冤罪事件の関連でいわゆる袴田事件について少し述べさせていただきます。
2024年10月9日に袴田事件の再審無罪が、検察官の上訴権放棄により確定しました。袴田巌さんが殺人の罪で逮捕されたのが、1966年8月18日ですから58年間、冤罪で苦しめられたことになります。
1審で死刑判決(静岡地裁1968年9月11日)を書いた左陪席裁判官(通常、最も若手の裁判官で、判決の起案に当たることが多いです)の熊本典道氏は、当時、袴田さんの無実を確信していたと後に告白し袴田さんの無罪を訴えるようになりました(2007年3月9日「死刑廃止を推進する議員連盟」院内集会)。熊本裁判官が死刑判決を書かざるをえなかったのは3人の合議体の他の2名の裁判官を説得できなかったからです。
無実を確信していた裁判官の書く有罪判決は異様なものでした。自白の任意性について厳しく判断し、検察官提出の45通の供述調書のうち44通について証拠採用を拒否した上で、付言で次のように記載しています。
「本件の捜査にあたって捜査官は、被告人を逮捕して以来、専ら被告人から自白を得ようと極めて長時間に亘り被告人を取り調べ自白の獲得に汲々として、物的証拠に対する捜査を怠った」「重要部分について被告人から虚偽の自白を得、これを基にした公訴の提起」「このような捜査のあり方は、『実体的真実の発見』という見地からはむろん、『適正手続きの保障』という見地からも、厳しく批判され、反省されなければならない。本件のごとき事態が二度と繰り返されないことを祈念するあまり敢えてここに付言する。」
この付言からは、意に反し有罪判決、死刑判決を書かざるを得なかった熊本裁判官の無念さがにじみ出ているように思います。熊本裁判官は上記判決の翌年裁判官を退官しています。熊本裁判官は2020年11月11日に亡くなっていますが、自分の書いた死刑判決について生涯、罪の意識に苦しめられたようです(朝日新聞出版『袴田事件を裁いた男』等)。
袴田事件は、捜査機関、司法機関が誤った判断をした場合にこれを是正することがいかに難しいか、いかに重大な人権侵害をもたらすかを明らかにしています。
袴田事件と比較すれば、私たちの担当した冤罪事件は、罪名、刑期ともに軽いものではありますが、無実の罪で国民を拘束し、刑を科すことに変わりはありません。国家が決して行ってはならないことです。弁護士としては罪の軽重を問わず、冤罪と戦うのは重要な使命であると考えます。
以上