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逆転無罪 弁護士白井劍【第1回(連続5回)】

逆転無罪 弁護士白井劍【第1回(連続5回)】

 

〈今村核弁護士の訃報に接して〉

今村核弁護士をご存知だろうか。刑事専門の弁護士である。テレビドラマの主人公のモデルになった人である。2019年1月から3月まで日本テレビ系列で放映された「イノセンス冤罪弁護士」で坂口健太郎が、その主人公を演じた。NHKでも今村核弁護士を取り上げた特集番組が組まれ、世間に知られる存在となった。ことし2022年8月お亡くなりになった。その訃報が最近公表された。数々の冤罪事件に取り組み、文字どおり冤罪事件に捧げた生涯だった。この国の刑事司法は大きな希望を失った。訃報に接してそう思う。

わたしは一度だけかれといっしょに刑事事件を担当したことがある。かれがまだ有名になるずっと以前のことである。その事件のことをお話ししたい。25年も前の事件である。今村核弁護士の著作のなかで、「逆転無罪浅草4号事件」として紹介された事件である。うちの事務所のホームページの弁護士紹介欄に岡村と石川とわたしが担当した事件として、「逆転無罪浅草4号事件」を挙げている。事件の名称は今村核弁護士の著作からとった。うちの事務所では、「Kさんの事件」あるいは「K事件」と呼ばれていた。被告人の名前がKさんだったからだ。では、Kさんの事件をご紹介しよう。

 

〈弁護団の中心は岡村実弁護士〉

Kさんの事件は、うちの岡村実弁護士が中止となって東京高裁で逆転無罪をかちとった事件である。今村核弁護士には、助っ人として弁護団にはいってもらい、さまざまな場面で的確なアドバイスをもらった。罪名は「公務執行妨害・器物損壊」。一審の東京地裁は懲役2年の実刑判決だった。もしこの段階で終わっていれば、ごく普通の、ありふれた刑事事件であった。それが鮮やかな逆転劇となった。

 

〈深夜に起きた公務執行妨害・器物損壊事件〉

1997年5月7日深夜のことである。東京の浅草界隈を怪しげなグロリアが走行していた。車高を低くした改造車だった。フロントガラス以外の窓ガラスの全てに黒い遮光フィルムが貼られている。パトカーで警ら中の2名の警察官がこれに気づいた。即座に整備不良車と断定し、停止を求めた。

グロリアは無視して逃走した。7分にわたってカーチェイスがくり広げられた。道路は交通量がほとんどなかった。グロリアもパトカーも猛スピードで走り続けた。右折と左折とを30回余りくり返した。信号は無視された。一方通行を逆走する場面もあった。その挙句、東京都台東区上野1丁目の路上でグロリアは停まった。そこに停止していたタクシーの後ろに付けた。パトカーもグロリアのすぐ後ろで止まった。ただちに警察官たちが降りてきてグロリアの脇に立った。職務質問が始まろうとしていた。ところが、グロリアはいきなり急発進した。警察官たちは驚いて飛びのいた。グロリアはタクシーに突っ込んだ。タクシーは前方に押し出された。さらにグロリアは、勢いよくバックしてパトカーを破損させ、そのまま逃げ去った。グロリアは乗り捨てられているのがのちに発見され、浅草署に押収された。

グロリアの所有者は30歳代の男性Kさんだった。Kさんのもとに数名の刑事が訪ねてきた。刑事たちに取り囲まれた。公務執行妨害と器物損壊の嫌疑を告げられて、Kさんは自分がやったことではないと主張した。すると、刑事のひとりがいきなり背負い投げでKさんを投げ飛ばした。Kさんは床にたたきつけられ、刑事たちに抑え込まれ腕をねじ上げられた。いっさい手出しをしていないのに一方的に暴行を加えられたとKさんは悔しがった。

 

〈当番弁護士として〉

岡村実弁護士がこの事件にかかわったのは1997年5月20日だった。その日は当番弁護士として終日事務所で待機していた。弁護士会から連絡がはいり、浅草署に接見に行った。そこで初めてKさんに会った。Kさんはつぎのように語った。

犯人は自分ではなく、暴力団幹部のAである。たしかにグロリアは自分がことし3月に購入した。でも、ほどなくしてAに貸した。それから返してもらってない。5月7日深夜か8日未明にAから携帯に電話があった。Aは、「パトカーに追われて逃げた。借りた車で事件を起こしてしまって申し訳ない」というようなことを興奮気味に話していた。そのとき、自分は友人のCが運転する車にのっていた。自分の内妻のBもいっしょだった。Aから聞いた事件のことはその場ですぐにBとCに話した。8日の昼間にはAと会って詳しい話を聞いた。そのときもBとCは同席していた。自分の指紋はハンドルからはでないはずだ。ほとんど乗らないうちにAに貸したのだから。

岡村弁護士はさっそく検察官に連絡をとり、指紋のことを確認した。ハンドルからはAの指紋が発見されていた。しかし、Kさんの指紋は検出されなかった。さらに、岡村弁護士は、Cさんに連絡をとって、参考人として検察庁に出頭してもらった。Cさんは、Kさんにはアリバイがあること、そのときKさんの携帯にAから電話がはいってAが事件を起こしたことを知ったことなどを検察官に語った。そのほか当番弁護士として考えられることをすべて岡村弁護士は尽くした。それでもKさんの起訴を食い止めることはできなかった。Kさんは6月10日、公務執行妨害、器物損壊で起訴された。

 

〈引き続き法廷弁護も〉

起訴後も引き続き岡村弁護士に弁護してもらいたいとKさんは言った。岡村弁護士の熱心な弁護活動をみて、Kさんは岡村弁護士に全幅の信頼を寄せていた。国選弁護にすることを岡村弁護士は勧めた。しかし、Kさんはそもそも国選制度に不信感があるらしく、私選にこだわった。とはいえ、Kさんはまったくお金がない。内妻のBに用意させるからとのことだった。結局、岡村弁護士は私選弁護を引き受けた。もっとも、内妻にも資力はない。私選にしたとはいえ、金額は国選よりも少なかった。

(以上、第1回。次回は1週間後掲載)