馬鈴薯の花と離婚事件 弁護士白井劍
〈かわいらしく美しい馬鈴薯の花〉
馬鈴薯はジャガイモの別名である。6月に花を咲かせる。茎の先端に薄紫または白の小さな花をいくつもつける。マリー・アントワネットは好んでその花を髪飾りに用いた。フランスの王妃が愛したその花は美しい花である。煌びやかな美しさではない。清楚でかわいらしい美しさである。石川啄木にこんな短歌がある。
馬鈴薯の花咲く頃と
なれりけり
君もこの花を好きたまふらむ
このとき啄木は北海道で暮らしていた。開花時期が本州より遅い。6月下旬から7月である。馬鈴薯の花が好きであろうその女性に啄木は恋心を抱いている。でも、この恋心はちょっと危うい。だって啄木は妻帯者なのだから。人を好きになる気持ちは自ずと湧きあがる感情である。本人にもどうにもならない。その気持ちを咎めることはできまい。啄木はこれを内に秘めた。女性は啄木の思いに気づかなかったかもしれない。即物的な恋心ではない。精神的でしかない。それでも恋は恋である。
〈ある離婚事件〉
恋心を抱いただけでは弁護士の出番はない。内に秘めるべき恋心があふれ出てストーカーや不貞などになったとき法律事務所に相談ごとがもちこまれる。
相談者はわたしの友人の従姉妹だった。夫から唐突に離婚を求められた。夫は長年、遠方の地方都市に単身赴任している。かつては頻繁に帰宅した。この2年ばかりは仕事が超多忙とかで滅多に帰ってこない。彼女も以前は自分の仕事の休みに夫の赴任先を訪ねて掃除や洗濯や料理をした。夫の仕事が忙しくなってからは妻が来るのを迷惑がるようになった。掃除をすると書類が紛失するといって叱られる。ちょうど娘の教育に忙しくなったこともあって、結局、もう長い間足を運んでいない。「あまりにも長い間、単身赴任による別居が続いたので、夫婦として心を通い合わせる関係でなくなった」。離婚を求める理由を夫はそう説明した。「わたしは別れたくはない。夫に対する愛情は変わらない。夫もそうだと思っていた。でも、夫のほうで愛情が冷めたというのなら仕方ないかもしれない」と彼女は語った。
夫のこの言動はどこか何か変だ。わたしには、そう思われた。「女がいるかもしれませんよ」と訊いてみた。彼女は笑って、仕事人間でおよそ女性に興味ないし、女性にもてるはずもないと言った。「近いうちに訪ねてごらんなさい」とお勧めした。会ってじっくりと話したほうがいいし、その前にマンションに行ってどんな生活をしているのかみたほうがいいと申し上げた。彼女はそうすると言った。
数日後、彼女から電話があった。「女がいたんです」といきなり言った。マンションの夫の部屋に女性の持ち物が多数ある。同居はしていないようだが、特定の女性がときどき泊まっていることは間違いない。ふたりで撮った写真が何枚かあり、中には旅館での浴衣姿の写真もある。女性からの手紙もあった。そんなふうに、やや興奮ぎみに彼女は述べた。その後、彼女はすべてをスマホのカメラにおさめ、夫とは会わず、夫には何も告げずに自宅に戻った。
その後、家事調停の呼び出し状が彼女のもとに届いた。家事調停の管轄は相手方の住所地になる。彼女の自宅の管轄裁判所だった。これは1,2回で不調に終わった。夫は地裁に離婚訴訟を提起した。離婚訴訟は当事者の住所地が管轄になる。原告と被告のいずれの住所地でもよい。訴訟は単身赴任先の地方都市の裁判所で始まった。彼女はその訴訟を依頼したいとわたしに言った。うちの事務所では訴訟事件は2名で担当するのを原則にしている。藤田陽子弁護士とわたしが担当した。
夫は当初、簡単に勝てると思っていたらしい。単身赴任の期間すべてを通算して長年の「別居」と主張してきた。こちらは彼女が撮った不貞の証拠を出した。これに対して夫は、不貞の前にすでに婚姻が破綻していたと主張し、およそ考えられるさまざまな主張を繰り出してきた。地裁は、当方の主張をきれいに認めた。証拠に基づいて、不貞以前からの婚姻破綻を言う夫の主張を退け、「原告(夫)と被告(妻)との間の婚姻関係が破綻したことについて、原告に専ら責任(有責性)があることは明らかである」「本件は有責配偶者からの離婚請求の場合である」「原告の離婚請求を認容することは、むしろ社会正義に反することになるというべきである」と判示した。高裁でも勝てた。その判決が確定した。
〈同じ恋心だったはずなのに〉
こちらが提出した証拠の中に家族が遊園地で互いを撮った写真がある。夫が娘を撮り、妻が夫を撮った。撮影日は夫が女性と知り合ったのち、まだ交際し始める前の時期だった。不貞前の婚姻破綻を言う相手の主張を崩す証拠のひとつとなった。
藤田もわたしもずっと夢中で走り続けてきた。いい判決をとること以外に考える余裕はなかった。判決が確定した後になってようやく、少し距離をおいて振り返ることができた。同じ男性として、夫のこのときの心境に関心が向いた。家族の写真を撮るとき、その女性は夫の心のなかのどこにいたのだろう。交際前とはいえ、夫はすでに女性に恋心を抱いていたかもしれない。でもそのときは、「馬鈴薯の花咲く頃」の啄木が抱いた恋心と変わらなかったはずだ。その同じ恋心が転がってこの離婚事件になった。もとは同じ恋心だったはずなのに。そう思うと、なにか不思議なものを見るような気がした。わたしは長い間、その写真をただ見つめていた。
(以上)