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米軍基地のダーク・ウォーターズ 弁護士白井劍

米軍基地のダーク・ウォーターズ  弁護士白井劍

〈巨大化学企業デュポンとたたかった実話〉

「ダーク・ウォーターズ」はハリウッド映画である。2019年11月にアメリカで公開され、日本でも2021年12月から公開された。巨大化学企業デュポンによる、実際の環境汚染事件が扱われている。映画は、農場で相次いだ牛の不審死に端を発し真相究明に乗り出す弁護士とデュポン社とのたたかいを軸に展開する。主人公の弁護士を「アベンジャーズ」のマーク・ラファロが、その妻を「プラダを着た悪魔」のアン・ハサウェイが演じた。

実際の環境汚染は1990年代後半にウェストバージニア州で、ロバート・ビロット弁護士の告発によって明らかになった。人体に有害な有機フッ素化合物「ピーフォア」(PFOA:ペルフルオロオクタン酸)が環境を広範に汚染した。工場はこの有害物質を大量に投棄していた。独自の調査でその毒性を知悉していながらである。土壌汚染、そして川や地下水の水質汚染が拡がり、夥しい数の周辺住民の健康被害が生じた。デュポン社は事実を隠蔽し被害者たちを黙らせようと画策する。しかし、約7万人におよぶ住民の健康調査データの分析によって、「ピーフォア」は妊娠高血圧症・妊娠高血圧腎症、精巣癌、腎細胞癌、甲状腺疾患、潰瘍性大腸炎、高コレステロールの6つの疾患と関連することが判明する。2001年、約7万人の原告が集団訴訟を提起し巨大企業を追い詰めていく。

映画の題名「ダーク・ウォーターズ」は、有機フッ素化合物による水質汚染を指している。

 

〈日常生活の身近に使われている有機フッ素化合物〉

じつは「ピーフォア」を始めとする有機フッ素化合物はわたしたちの身近に存在する。以下の製品のなかには有機フッ素化合物を含むものがある。たとえば、テフロン加工のフライパンがそうである。撥水スプレーや水をはじく衣類もそうである。衣類だけでなく、カーペットや織物や紙の保護コーティング剤など、防汚、撥水、ツヤだしなどに便利に使われてきた。そして航空機火災用の泡消火剤にも使われている。意外にも、ファウンデーションやマスカラといった化粧品の成分にも含まれる場合がある。さらには自動車や半導体など、その用途は幅広い。

 

〈2019年に国連で禁止された〉

国連「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約締約国会議」は、2019年5月、「ピーフォア」の製造・使用を原則禁止する決議を採択した。その10年前(2009年)には、「ピーフォス」(PFOS:ペルフルオロオクタンスルホン酸)が同様に締約国会議で原則禁止されている。「ピーフォア」と「ピーフォス」が有機フッ素化合物の代表である。

 

〈米軍基地から染み出て環境を汚染する有機フッ素化合物〉

日本の「ダーク・ウォーターズ」は国内の化学工場のほか、全国各地の米軍基地からも大量に染み出している。環境省が2020年6月に公表した全国計171地点の地下水などの調査結果によると、「ピーフォア」と「ピーフォス」の含有量は、1都2府10県の37地点で基準値を超えた。化学メーカーの工場が集まる首都圏や阪神地域などのほか、米軍基地周辺にある川や湧水で汚染が目立っている。

2020年10月刊行「環境と公害」第50巻第2号(岩波書店)に、ジョン・ミッチェル(Jon Mitchell)という学者(明治学院大学国際平和研究所研究員)の論文が載っている。米国情報自由法(FOIA)を駆使した資料検索で判明した衝撃的事実が書き連ねられている。「2001年から2015年の間に、嘉手納空軍基地から誤って流出した泡消火剤の量は少なくとも2万3000リットルに上り、その中には、有機フッ素化合物を含有する泡消火剤も含まれている。2016年には、米空軍が消火システムを調査したところ、基準値の数百万倍を超えるペルフルオロオクタン酸(註:前記「ピーフォア」)が使用されたことが明らかになっている。また、普天間飛行場においても泡消火剤の漏出は頻繁に起きていた」「三沢基地では、2012年から2017年の間に少なくとも4度、泡消火剤が流出している。2012年の事件では、流出した泡消火剤が水田の灌漑用水に流れ込んだ」。そのように彼は述べている。米軍基地のダーク・ウォーターズが沖縄でも青森でも深刻な環境汚染を生んでいるのである。

東京都でも同様の問題が起きている。ジョン・ミッチェルは、「日本本土において、明らかになっている中で最も深刻な有機フッ素化合物汚染の事例は、日本における米軍司令部が存在する横田基地で起こっている。泡消火剤の事故のうちの1つが、2012年の事故であり、それによって3000リットルの濃縮泡消火剤が貯蔵タンクから地面に漏出した」と述べている。横田基地周辺の井戸を2018年に東京都が調査した。立川市では井戸水から1340ng/Lの有機フッ素化合物が検出された。ちなみに、日本の関係官庁が有機フッ素化合物に関して設定する安全基準は、水道水の基準が50ng/L(厚生労働省)(1リットル当たり50ナノグラム=ナノは10億分の1)、環境水の基準も50ng/L(環境省)である。立川市の井戸水の汚染の度合いは安全基準のじつに26倍にも達したわけである。

 

〈理不尽がまかり通る〉

一般社会では借りた土地を汚染すれば元どおりに浄化せねばならない。借主は原状回復義務を負うのである。常識である。ところが在日米軍にはこの常識が通用しない。敷地を汚染しても浄化する義務を負わない。「日米地位協定」(1960年締結)が存在するからである。

そもそも米軍基地に土地を貸している土地所有者はすき好んで土地を提供したのではない。日米安全保障条約第6条や日米地位協定第2条の規定に基づき日本政府から米国に提供されているのであって、土地所有者には貸したくないと拒む権利が認められていない。ところが、返還されてみれば有機フッ素化合物に汚染された土地になってしまっている。その原状回復には巨額の費用がかかる。汚染されて返還された米軍基地敷地の浄化問題は、いま沖縄の地元自治体に重すぎる負担としてのしかかっている。

いったいなぜこのような理不尽がまかり通るのであろうか。なぜ日本政府は「日米地位協定」の見直しを本気で考えようとしないのであろうか。わたしは不思議でならない。国土が汚染され、国民の健康が危険にさらされる事態である。わたしたち国民の一人ひとりが事実を直視し、我がこととして受けとめ、米軍基地のダーク・ウォーターズについて真摯に考えねばならないと思う。(以上)