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逆転無罪 弁護士白井劍【第3回(連続5回)】

逆転無罪 弁護士白井劍【第3回(連続5回)】

 

【登場人物】

Kさん:被告人。グロリアの所有者。

A:Kさんの知り合いの暴力団幹部。Kさんからグロリアを借りた。

B:Kさんの内妻。

Cさん:Kさんの友人でアリバイ証人。事件時Kさんとともに別の場所にいた。

Dさん:事件2日前にAがグロリアを運転するのを見た証人。

 

〈岡村弁護士、弁護団を組織する〉

岡村弁護士が控訴審を手弁当で引き受けると聞いて、わたしは大反対した。この被告人のために犠牲になってそこまでしなくても、国選弁護人をつけてもらえばよいではないか。そう率直に言った。しかし、わたしが言葉を尽くして口説いても、かれは耳を傾けようとはしなかった。この人は頑固だ。おそろしく頑固だ。その本領が発揮されると、こっちは壁に向かって話すのと同じになる。何度も岡村弁護士と話しているうちに、国家から人として扱われていないとKさんが悔しがる気持ち、そして岡村弁護士がこのまま引き下がることはできないと憤る気持ちは、そもそも人権というものの萌芽段階の原型なのではないかという気がしてきた。弁護士は憲法第何条に該当するかというレベルで考えがちだ。しかし、憲法典ができるはるか以前から人権は人びとのなかに息づいていたに違いない。もともとは国家の横暴に対する憤りから発展し、気の遠くなるような長い歴史のなかで人権という観念が生成したはずだ。そうであれば、いまKさんや岡村弁護士が抱いている憤りこそが人権の原型なのではないか。思いとどまらせることができないのであれば支えてあげるしかない。そう考えるように、わたしはなった。手弁当の弁護団に加わることを岡村弁護士に約束した。

岡村弁護士は弁護団を組織し始めた。同じ事務所の管野兼吉弁護士(2021年現役を引退し、現在は弁護士ではありません)、そして石川順子弁護士が弁護団に加わった。さらに岡村弁護士は事務所の枠を超えて勧誘した。その当時、岡村、石川、白井の3人は薬害ヤコブ病訴訟に取り組んでいた。岡村弁護士はヤコブ病弁護団に声をかけた。山本孝弁護士、伊藤方一弁護士、見附泰範弁護士の3人がこれに応えてくれた。さらに、刑事専門の二人の弁護士も参加してくれた。ひとりは野島真人弁護士。もうひとりはわれらが今村核弁護士であった。こうして岡村弁護士は9名の弁護団を組織した。

 

〈控訴審でも主要争点のひとつは指紋〉

車体の外側からはKさんの指紋も1つ出ていた。しかし、Kさんの所有車両なのだから不思議ではない。問題はハンドルである。ハンドルの指紋はだれが運転したかを端的に示す物証である。ハンドルから検出された指紋はAの指紋であって、Kさんの指紋ではなかった。指紋について言うかぎり、グロリアのハンドルは殺人事件の凶器に似ている。凶器から被告人の指紋ではなく別の者の指紋が検出されているようなものだ。なぜKさんの指紋でなくAの指紋が出ているのかを、原判決が合理的に説明できているとは思えなかった。原判決は、「同じ箇所を何度も触れて指紋の流線がだぶってしまう場合などは指紋は検出されない」と判示した。Kさんが何度も触ったためにKさんの指紋が検出されなかったのだと言うのである。たしかにその可能性はある。しかし、それだけではAの指紋が残っている理由を説明できない。Aから車両を返してもらったのちパトカーとのカーチェイスで右左折をくり返してハンドルに頻繁に触れ、そのためにKさん自身の指紋も判別できないくらいに夥しい数の流線にハンドルが覆われたのだとすれば、その夥しい流線にAの指紋も埋もれて判別できなくなるはずである。Aの指紋が残っている事実は、ハンドルに触った最後の者がAであってKさんではないことを指し示している。原判決はこの点の説明をなにもしていない。

控訴後も、岡村弁護士は日大医学部の押田教授のもとに通った。石川弁護士や私もついていった。そこでさまざまなことを学んだ。指紋は12点の特徴点が一致することで個人識別をするものである。しかし、一致点が12点に満たなくても、かならずしも無意味ではない。かつて警視庁が60万の指紋を対象におこなった調査では、異なる者の間で5点以上の特徴点が一致するものはなかった。本件でも、12点未満の相当数の特徴点が一致する指紋がありうる。指紋を採取した際のゼラチン紙を提出させて、それを調べればそういう指紋の有無を確認することができる。押田先生のアドバイスをうけて、法廷で検察官に指紋を採取したゼラチン紙の提出を求めた。これに対し、検察官は報告書を提出してきた。報告書には、特徴点が12点に満たないために対照不能とされた2つの指紋が存在し、そのうちの1つはAの指紋と6点の特徴点が一致したことを明らかにしていた。Aによる犯行であってKさんの犯行ではないことが、いっそうはっきりしたと思った。

 

〈Kさんの内妻Bの尋問〉

Kさんの内妻Bは、1998年7月にAとの婚姻届けを出した。そのことが9月になってわかった。Kさんは気づかぬうちに、内妻に裏切られていたのだ。BはAと通じていた。だから捜査段階でKさんに不利な供述をしていた。そのことが、この婚姻届ではっきりした。Bの証人尋問がおこなわれた。

岡村弁護士がBに対する反対尋問をおこなった。さまざまな角度からBの供述の弱いところをつく、いい尋問だった。しかし、BはKさんを裏切ってAを擁護すると心に決めて証言台の前にいる。事件当時、CさんやKさんといっしょだったことを頑強に否定した。これを崩す材料は当方にはない。ポイントを稼げないまま尋問は終わった。

岡村弁護士は東京高裁の庁舎を出たところで唐突に声を上げた。「ああ、ダメだダメだ。いちから、やり直しだ。ダメだダメだ」と。庁舎に出入りする人びとが振り向いて岡村弁護士の顔を見ていた。それくらい大きな声だった。いい尋問だったよ、けっしてダメじゃなかったよ。そう声をかけて慰めてあげたいと思った。でも、何を言ってもかれを傷つけてしまいそうだった。だから、黙っていた。

(以上、第3回。次回は1週間後掲載)