ブログ一覧

AIの存在と人間の仕事 弁護士 小峰将太郎

AIの存在と人間の仕事   弁護士 小峰将太郎

わたしはかなり多趣味な人間で、読書、散歩、フットサル、バスケットボール、将棋、スポーツ観戦など、さまざまである。今回は、このブログを書いている時点で注目を浴びている将棋について、話しつつ、表題のAIの問題意識についても書いていこうと思う。

このブログを書いている時点で、将棋界のみならず一般の方も知らぬ人はいないであろう、羽生善治九段と藤井聡太竜王との間で王将戦7番勝負が行われている。私は、将棋については、アマチュアでも級位者程度の実力しかないので、トッププロの思考は難解で、理解が及ばないこともある。しかし、同じくプロ棋士が局面を解説してくれているため、解説を聞きながら、対局を観るのを楽しんでいる。
ここで、表題のAIの問題に触れたいと思う。現在の将棋の対局の放送では、AIが評価値という形勢判断と最善手というAIが考えた次のもっとも有利な一手が示される。基本的には、AIの最善手を指していけば不利にならず、負けることはないだろうというものである。
こうなってくると、みている側もAIが指し示す最前手を対局している棋士が差すのか、AIが判断した形勢判断からどちらが勝っているのかを判断するようになる。
AIはもはや人間のトッププロの棋士を超えてしまっているのである。
これは将棋のみならず、囲碁やチェスにおいても、AIは人間の能力を超えてしまっている。そんな中でたまに声が上がるのが、その中で人間が将棋を指す意味がどこにあるのだろうか?という問題意識が語られることがある。
確かに、最高レベルの読み合いの対局を観たいのであれば、進化したAI同士を対局させればこれ以上ない勝負が観られるであろう。しかし、人間が将棋を指す面白味というものが全くなくなってしまう。
羽生善治九段や藤井聡太竜王がどのように指すのか、どのような思考なのか、そういった対局の背景にある人間ドラマが全く見られなくなってしまう。
「人間らしい一手」という表現が将棋をみているとよく使われていることに気が付く。AIとしては最善手が他にあっても、人間相手だとその人の思考が表れる指し手である。こうした一手に想いがこめられているからこそ、人間同士の将棋をみるのは楽しいのである。

さて、ここで、私たちの仕事におきかえて考えてみる。
弁護士の業務は膨大な裁判例や膨大な法律や条例をもとに事実関係を調査したうえで、依頼者にとって最善の解決策を導くことにある。
AIというのは、非常に優秀でわたしたちではとても覚えきれない量の裁判例や法律、条例をすべてコンピューターの中に収めている。その中で前例を踏襲した場合どのようになるのかという答えはいかにもAIであれば簡単にはじき出せそうである。
では、弁護士の仕事はAIにとって代わることができるのであろうか?
わたしの考えでは答えはNOである。
わたしたち弁護士は依頼者にとっての最善を尽くすことであるが、この最善というのは非常に難しい。依頼者は形式的に多くのお金が欲しい、パートナーと離婚したい、という言葉をそのまま受け止めて前例を踏襲することはAIであればできるかもしれない。しかし、依頼者の言葉の奥にある本音というものは、時間をかけて直接話して信頼関係を構築していくことによって、はじめてわかるものでもある。
離婚調停を繰り広げつつも、復縁の可能性も本当は考えているかもしれない。相手からお金が欲しいというよりも、お金以上に、相手に望むことがあるかもしれない、このことはAIではわからず、判断ができないであろう。
生身の人間が会って話すからこそ、声のトーンや表情、そういった文字情報だけではわからない情報がたくさんあり、そこからわたしたちは依頼者にとっての最善を判断するのである。

以前のブログでわたしは依頼者と寄り添って弁護活動をしたいと書いたが、まさに依頼者と寄り添って依頼者の気持ちを受け止めてそれを裁判官や相手方に示すことは、AIではできることができない、AIがとって代われない仕事なのだと考える。

わたしがこれを執筆している時点で、羽生善治九段と藤井聡太竜王の王将戦は第五局まで終わっていて、羽生善治九段が二勝、藤井聡太竜王が三勝とほぼ互角の戦いをしており、まだまださきのわからない勝負が続いていく。特に、直近の一戦はAIの形成判断がコロコロと変わることがあり、人間には感覚的に指せない手が多かったようである。AIの示す一手をすべてとみるのではなく、人間だからこその対戦を楽しみたい。
そして、仕事でも人間だからこそ、つかみ取れる依頼者にとっての最善を尽くしていきたいと思い、今日も仕事に励む。