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ビューティー・インサイド 弁護士白井劍

ビューティー・インサイド  弁護士 白井劍

 

〈姿が毎日変わったら〉

24時間だけでいいからイケメンになりたい。そう考えたことはありませんか。大人になってからは考えないですよね、そんなこと。でも、思春期には夢みましたよね、一日だけの奇跡を。もし夢が叶ってイケメンになったら、きっとその日は楽しく過ごせます。とはいえ、イケメンでいられるのは一日だけです。翌朝にはもうイケメンじゃない別の姿になってしまいます。

もしも毎日姿が変わっていくとすれば、その人生はどんなふうでしょう。人と会わねばならない仕事には就けません。姿を毎日変えるその人は同一人と認識されないので交渉も会合も成立しないからです。つき合いの幅も極端に狭い。それでは、恋愛はどうでしょうか。人を愛することはできるでしょうか。愛するその人から愛されることはできるでしょうか。その愛はどのように保たれるのでしょう。そんな物語が「ビューティー・インサイド」です。

 

〈韓国映画の名作〉

「ビューティー・インサイド」は韓国映画の名作です。ひと味ちがうラブストーリーです。2014年制作。DVDもありますしネットフリックスにもあります。主人公「ウジン」は目覚めるたびに姿が変わります。鏡をのぞくと眠る前とは別の顔です。「昨日の顔は手のひらより小さかった。今日は手のひらの2倍ある」。そうウジンがつぶやきます。顔だけではありません。頭の先からつま先まで総入れ替えです。洋服や靴のサイズも変わります。イケメンになることもあるけど、女性にも老人にも子どもにも外国人にもなります。変わらないのはウジン自身の記憶、そしてごく親しい人との関係です。ごく親しい人は母親と無二の親友のふたりだけ。職業は家具職人です。人と会わないですむよう、インターネットでオーダーメイドの家具を独創的なデザインでつくります。ある日ウジンは恋をします。相手は家具専門店で働く美しい女性です。名前は「イス」。イケメンになった日にデートに誘い、ロマンチックな3日間を過ごします。「このまま眠らなければイケメンのままだ」と徹夜を続けます。でも、イスを自宅に送っていった帰りの電車のなかでついうとうとと居眠りを。はっと気づいたときはもう、ひどい容姿の別人です。

ウジンを大勢の俳優が演じます。老若男女の俳優です。その数はなんと123名の多数におよびます。韓国の有名な俳優が続々と登場します。日本の上野樹里もいます。たった一人の人物像を大勢が共同で丁寧に作り上げて見せてくれます。その共同作業の迫力がこの映画を魅力あふれる秀逸な作品にしています。機会があったらぜひごらんください。わたしのイチオシです。

この映画の監督であるペク氏は、「外観が重要であることは間違いないけれど、でも愛する対象は内面へと移っていくことを描きたかった」と述べています。映画の題名「ビューティー・インサイド」は「内面の美しさ」とでも訳すのでしょう。人は、人を愛するとき、その人の何を見ているのでしょうか。それは美しいものでしょうか。

 

〈変わらないもの〉

ウジンの外観が毎日変わってもイスはウジンを愛し続けます。毎日姿を変えるウジンのなかに、イスは何を見るでしょう。ウジンがもし婚姻したらどんな婚姻生活になるだろう、と映画を見たあとに考えました。ウジンの外観だけでなく内面まで変わってしまったとき、イスはどうするでしょう。

現実の世界には毎日姿を変える人なんていません。でも、外観は変わらなくとも、内面が変わってしまうことはあります。人が変わったようになるのです。変わってしまったあとのその人に耐え難いものを感じたら婚姻生活を続けることはできません。そもそも耐え難いと思う人と婚姻するはずもありませんから、婚姻破綻の多くに「耐え難いほどに人が変わってしまう」面があるといってもいいかもしれません。その典型的な場合が、民法第770条第1項の1号「不貞行為」、2号「悪意の遺棄」、3号「3年以上の生死不明」、4号「強度の精神病(回復見込みなし)」と考えることもできるかもしれません(典型に当たらない場合は、5号「その他婚姻を継続し難い重大な事由」の問題になります)。

わたしどもは仕事上さまざまなご夫婦をみます。法律婚も事実婚もあります。若い頃わたしは婚姻破綻には法則性があるはずと思っていました。長年仕事を続けていればその法則性を発見できると思っていました。でも37年余り弁護士をやって思うのです。そんな法則性などないのではないか、と。そもそも人生が人それぞれに違うように、婚姻破綻のあり方も人それぞれに違います。そのなかに法則性を見出すことは無理と思えます。

婚姻が破綻したといえば、夫婦が互いに相手を非難し罵りあうと考えがちです。じつは、かならずしもそうとも限らないのです。離婚するふたりが互いに対するリスペクトを失っていないケースもあります。婚姻を続けることはできないけれども、あの人が尊敬できる人であることに変わりない。そういうケースです。

耐え難い人と婚姻するはずがないと先ほど申しました。じつは、これもそうとも言い切れないのです。婚姻破綻の原因が婚姻当初から潜んでいることがあります。婚姻自体が間違いだったと思えるケースです。依頼者ご本人も、「なんで私はこんな人と結婚してしまったのか」と頭をかかえるのです。もとより、第三者からは不可解というほかありません。

人が人を愛するとき、その人の何を見ているのかと先ほど申しました。「変わらないもの」を見るのではないかという気がします。「変わらないもの」の内実は、優しさや思いやりであったり、純粋さであったり、誠実さであったり、安心感を与えるあたたかい人柄であったり、そういうものだろうと思います。そういう「変わらないもの」です。毎日姿を変えるウジンにイスが見たものはまさにこの「変わらないもの」なのだろう。そう思いながら、映画を見ていました。カメラワークが巧みなのでしょう。映像が美しい。特別に美しい物が撮影対象というわけではありません。そうではなく、まさに撮影技術のおかげでしょう。ありきたりの物が美しく見える。不思議な感動を味わえる映画です。最後にもう一度申しあげます。機会があったらぜひごらんください。わたしのイチオシです。(以上)