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花地蔵物語~国策による3度の棄民 弁護士白井劍

花地蔵物語~国策による3度の棄民

〈国策を信じて3度裏切られた人びとの物語〉

 福島県浪江町津島地区をテーマにした合唱を聴いた。「福島津島村に心を寄せて『花地蔵物語』-満蒙・開拓・原発-」。3度にわたって国策を信じて裏切られた人びとの物語である。1度目は戦前の国の募集に応じて満蒙開拓団に参加し辛酸をなめた。2度目も戦後の国策にのって津島地区に入植し極貧のランプ生活のなか国有林を開拓した。3度目が福島原発事故である。国策で原子力が導入されて原発が建設され安全神話を刷り込まれた。その挙句の原発事故だった。

わたしが聴いた公演は2024年1月19日、JR武蔵小金井駅前の小金井宮地楽器大ホールで開催された。その日が完成お披露目公演だった。579席すべてが観客で埋まり会場は熱気にあふれていた。大門高子作詞、安藤由布樹作曲の14曲の合唱である。合唱が始まる前に3人の語りがあった。ひとり目は「あしたのジョー」を描いたあの、ちばてつや氏だった。重い事実をビデオレターで穏やかに、しかし決然と語った。6歳のときに旧満州(中国東北部)で敗戦を迎え、家族に連れられて命からがら日本に引き揚げた。2人目は原発事故被害者の女性・三瓶春江さん。両親が大陸から引き揚げて津島地区に入植し苦労を重ねた。美しく豊かな自然の恵みを享受する生活は忙しいながらも充実していた。そこに原発事故が襲いかかった。そして3人目は津島弁護団共同代表のひとり小野寺利孝弁護士であった。

〈旧家と入植者の融合が形成した津島地区〉

浪江町は東西に細長い。東半分は町の中心市街であり、太平洋に面している。峠をはさんで西半分「津島地区」は阿武隈山系のまっただ中にある。浪江町と合併する前は津島村という別の村だった。江戸時代から何百年もつづく旧家が少なくない。敗戦当時、そういう旧家が300ないし400戸あったらしい。そこに戦後の国策によって大勢の人びとが入植してきた。これもまた400戸程度だった。その2つの流れが融合するにはさまざまな障害があったはずだ。住民たちは、それを乗り越え、助け合い支え合ってきた。「結い」の精神でむすばれ、活気のある地域を形成してきた。

入植者のなかには満蒙開拓団からの引き揚げ者も少なくなかった。満蒙開拓団でも、戦後の津島入植でも、そして原発事故後の避難生活でも辛酸をなめつくした。その過程で家族や仲間を失ってきた。たくさんの悲しみと怒りと苦悩に満ちた人生が、ステージのうえで美しい音楽と迫力満点の合唱によって描き出された。その展開にわたしは圧倒されつづけた。

〈「廃村棄民」政策からふるさとを取り戻す〉

福島第一原発からは30キロ離れている。2011年3月の原発事故直後、東側の市街地などから8000名をこえる人々が津島地区に避難してきた。原発から遠いので安全だと考えられたからだ。ところが、実際には津島地区こそが高濃度汚染地区となった。大量の放射性物質が風にのって津島地区に降り注いだのだ。地域まるごとが帰還困難区域となった。説明会の場で、いつ帰れるのかとの質問に環境省の官僚が「100年はかかるでしょう」と答えた。このままでは津島地区は地図から消える。今度こそ国策に翻弄されただけで終わらせてはならない。「廃村棄民」を押し付けられるのを受け容れてはならない。津島地区の住民たちは立ち上がり2015年9月から訴訟をたたかってきた。

被害者たちにとっては「帰りたくても帰れない」ふるさとである。「ふるさとを返せ、明日を返せ」「ふるさとを奪われてはなるまい、未来のために」。そう謳いあげる合唱が会場に響いた。感動が会場を包み込んだ。大きな拍手が沸き起こり閉演後もなかなか鳴りやまなかった。(以上)