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水俣病と食品衛生法と排水口変更

水俣病と食品衛生法と排水口変更 弁護士白井劍

【東京あさひ法律事務所と水俣病】  わたしたち東京あさひ法律事務所は、各所員弁護士がさまざまな人権課題に取り組んでいる。もともとは1986年1月に、水俣病東京訴訟の事務局事務所として発足したのが事務所の始まりであった。今回のブログでは水俣病を話題にしたい。

【被害を拡大させた1957年の厚生省と1958年の通産省】  国が水俣病被害を拡大させてきた転換点はいくつもある。ここで取り上げるのは1957年の厚生省と1958年の通産省である。1957年熊本県が食品衛生法第4条2号を適用して被害拡大を食い止めようとした。ところが、厚生省がこれに「待った」をかけた。そして、1958年通産省はチッソの排水口を水俣湾内から湾外に変更させて汚染海域を不知火海一円に拡大させた。

【巨大な産業公害】  水俣病は巨大な産業公害である。チッソは有毒な廃液を垂れ流しつづけた。不知火海一円の魚介類が汚染され、深刻な人体被害がうまれた。この人体被害が水俣病と呼ばれる。原因物質の有機水銀化合物は戦後日本の復興期に不可欠とされたアセトアルデヒドの製造過程で生成された。国家をあげて経済の高度成長に走った時期に生命と健康がないがしろにされた、類例をみない産業公害であった。

【巨大な食品公害】  水俣病は同時に、巨大な食品公害でもあった。というのも、魚介類を「食べる」ことで発症するからである。ただし、同じ「食べる」でも、ときおりスーパーや魚屋で買う都会の人びととはまったく異なる。魚介類は不知火海沿岸住民にとって主食であった。魚介類を毎日三食とも食べつづけて水俣病になる。食品を介して深刻な人体被害が起きるのは日常生活の安全性の根幹を揺るがす食品公害である。

【伊藤蓮雄水俣保健所長のネコ実験】  1956年5月1日が水俣病公式確認とされる。すでに水俣湾内沿岸の漁師たちとその家族たちがつぎつぎと水俣病に倒れていた。共通するのは水俣湾内の魚介類を食べつづけたこと。それが原因だと思われた。伊藤蓮雄水俣保健所長は実験によってそのことを科学的に明らかにした。水俣湾内の魚を7匹のネコに与えつづけ、うち5匹が数日から40日で水俣病を発病した。1957年春のことであった。

【浜名湖アサリ・カキ中毒】  食品衛生法第4条2号を適用した前例が静岡県にあった。1949年3月浜名湖でアサリ・カキによる中毒患者93名が発生し、うち7名が死亡した。静岡県は県知事名で採取の一時禁止、販売・授受の一時停止等の措置をとって被害の拡大を防止した。

【すべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので】  行政というものは前例主義である。前例がないときは腰が重い。前例があれば住民の安全をまもる。そういうものである。熊本県も静岡県での前例に依拠して魚介類の採取・販売の禁止措置をとろうとした。ところが厚生省は1957年9月、「魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので」として食品衛生法第4条2号を適用させなかった。

【当時の法律の文言は理由にならない】  「現在の食品衛生法第6条2号は、『有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは付着し、又はこれらの疑いがあるもの』である。しかし、1957年当時の食品衛生法第4条2号は、『有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは付着したもの』であって、『疑い』という文言がなかった。仕方がなかったのだ」と言う人がいる。これは間違っている。現に静岡県は、1949年当時の、「疑い」のない食品衛生法第4条2号を適用した。アサリ・カキのすべてが有毒化していたわけでもなく、原因物質も有毒化のメカニズムも不明であった。それでも生命・健康をまもるために行政措置がとられた。「疑い」という文言がなかったからなどという弁解は通らない。

【有毒有害か否かは「食べつづけて」初めてわかる】  「すべてが有毒化しているという明らかな根拠」という言い方には、「この魚は有毒、あの魚は無毒という具合に、有毒化しているか否かが1尾ごとに異なる」という暗黙の前提がある。しかし、これは子供だましのマヤカシである。1尾や2尾を食べたからといって水俣病は発病しない。毎日毎日何カ月も何年も食べつづけて発病にいたるのである。1尾の魚に含まれる有毒物質は、それだけでは健康に影響がでないほどに、ごく微量である。毎日食べつづければ発病にいたる。長期の微量摂取の積み重ねにより発病するのである。これが被害の実相である。「すべてが有毒化している根拠」うんぬんは、この被害の実相を覆い隠す目くらましである。

【安全性についての考え方】  そもそも「すべてが有毒化しているかどうかわからない」というのであれば、まず全体に規制をかけてすべての魚介類の漁獲と販売を禁止し、その後、徐々に解除していけばよいのである。それが安全性というものの本来のまっとうな考え方である。1957年の厚生省はこれに真っ向から反していた。

【不知火海一円に被害を拡大させた】  1957年当時、有機水銀を含んだチッソ工場の排水は水俣湾内の百間排水口から垂れ流されていた。水俣病発病も水俣湾内沿岸に限られていた。だれもがチッソ水俣工場が怪しいと考えていた。1958年9月、通産省の指導により、密かに水俣川河口に排水口が変更された。河口は湾の外にある。そうしてチッソに対する疑惑の目をそらそうとした。根底には、「湾内に汚染水を流すから問題になる。湾の外の広大な不知火海に放出してしまえば汚染が薄まるから問題にならない」という考えがあった。現在の福島第一原発汚染水問題とまったく同じ安易な、間違った考えである。その結果、有機水銀の汚染と水俣病発病は不知火海一円に一挙に拡大した。

【ノーモアミナマタ第2次国賠訴訟】  ノーモアミナマタ第2次国賠訴訟に関し、2024年3月22日熊本地裁は原告144名全員の請求を棄却する、不当判決を言い渡した。2023年9月27日大坂地裁が原告128名全員を水俣病と認める完全勝訴判決を言い渡し、解決の機運が盛り上がっていただけに残念である。国に被害拡大の法的責任があることは、すでに2016年10月に最高裁判決で確定している。ノーモアミナマタ第2次国賠訴訟で争われているのは、不知火海の広大な地域の大勢の被害者たちが「水俣病か否か」である。その判断が熊本地裁と大阪地裁で分かれ、被害者たちの苦難の道がさらに続くことになった。裁判所から国の認定基準の誤りをたびたび指摘されてきたにもかかわらず、環境省が「司法判断と行政判断は違う」と行政認定の基準をごり押ししてきたためにつづく争いである。

 落ち着いて考えてみれば、そもそも1957年にきちんと漁獲販売禁止措置がとられていればそのときに収束したはずの問題である。1958年に排水口が水俣湾の外に変更されなければ、被害が不知火海一円に拡大することはなかったはずである。1957年と1958年のこのできごとは痛恨事というほかない。厚生省(現厚労省)と通産省(現経産省)の罪は深いと思うである。(以上)